となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

吉田精一君?

2010年05月28日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

南の見知らぬ宮崎という街に思いをはせて文通したのは小学生の何年生の頃だったか。地図では南にあるのは分かるが、どれほど遠いものか想像を超えていた。同じクラスのほとんどの生徒は東京がまず一番の南の訪問地であったろう。それから南へ行くというのは、何か特別な事情や親類がいるとか以外はあまり聞いたことがないほど、南の地は遠いところだった。
何年生だったかも忘れたが、確かに札幌市立曙小学校でクラスごと、生徒全員で文通をしたことがある。相手先の学校は宮崎の小学校だった。僕の相手は男子で名前を忘れてしまったことは実に惜しいことである。
2回か3回やりとりしたものと思われる。分厚い封筒の中から宮崎の観光絵はがきが数枚出てきて目を見張ったことを覚えている。鬼の洗濯岩、鵜戸神宮、日南海岸、子供の国、霧島山、高千穂峡などなどよーく覚えている。絵はがきを見ながら、いつも肌寒い北国とは違う南国を思い、いつかは行ってみたいものだと思い、返事を書いてこちらも札幌の観光絵はがきを送ったものだ。

それから20年ほど経って、ふきのとうコンサートで初めて宮崎を訪れた。そのころはまだ男子生徒の名前を覚えていてステージの上から呼んだ。もしも来ていたら楽屋に来てくださいとかなんとか言ったんだろう。しかし期待は外れて何もなかった。
その代わりではないが、同じ「康世」という名前の女性が声をかけてきて手紙をくれたことを思い出す。初めて同じ名前の人の存在を知った日である。そんなこともあったり、コンサートで各地を回るようになって今までは体験できなかったおもしろいことも徐々に増えていった。
宮崎の誰だったか、吉田精一君だったか、今この文章を書いていてフッと天から降ってきた名前であるので確信はない。しかしなぜこの名前が脳味噌に降りかかってきたか。もしかしたら正解かもしれない。脳味噌の奥深くに仕舞われた記憶の断片が、埃を取り払われて起動したのかもしれない。もしもこれが真実だとしたら、今ものすごいことを体験、体感していると言うことになる。記憶がよみがえる仕組みをだれもまだ解明していない。
相手もすでに小学校の思い出も風化するような年齢になってきたのであまり期待はしていないが、少し期待もしている。

高校の同期会で親友は聞いてきた。「ところで山木君は幾つになったんだ?」
相変わらず童顔の僕を見て聞いてきたのだろうと思い
「還暦だよ。ところで君は幾つになったんだ?」
「偶然だな、還暦だ、早いものだなー、アハッハー」
壇上にかなり高齢な人が現れた。周りを取り囲んだみんなを見渡しながら
「みんな年取ったな、ところで君たちは幾つになったんだ?」
「先生イヤですよ、みんな同じですよ。アッハッハー、アッハッハー」

口角(口の両側)を少し持ち上げてごらん。なんだか意味はないが笑いの気分にならないかい。心がおもしろくて平和な時は口角が持ち上がっている。持ち上げるからおかしいのか、おかしいから持ち上がるのか。ニワトリが先かタマゴが先か。
(山木康世)