となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

深夜のビートルズ

2010年06月11日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

♪ザ ロングエンド ワインディング ロード♪
ポールの哀調を帯びた歌声がラジオから聞こえてきた。
録音は1969年というから僕は19歳だった。その翌年名盤「レット・イット・ビー」が発売された。聞こえてくる音源は聞き慣れた音源と明らかに違う。ほとんどピアノだけで歌っている。豪華なストリングスもコーラスも聞こえてこない。ポールが切なく少し鼻にかかった感じで淡々と歌っている。飾り気が一切ない。デモテープとして録音したのではと思えてくる。

この音源に後から手を加えサウンドを厚くした人間がいる。フィル・スペクターというアメリカ人で、彼の作り出すサウンドは実に濃厚で、音の隙間がない。「ウオール・オブ・サウンド」などとも呼ばれた。「音の壁」である。
ポールはこの男が勝手にレコード会社と手を組んで音を変えて発売したことに激怒したとアナウンサーは言っていた。

1969年、僕は大学生活にも慣れて、好きなアメリカンフォークソングにのめり込んでいったころだ。そのころイギリスではすでにビートルズは末期状態。活動を停止、レコードもバラバラに作っていたという。最近その頃の音源が相次いで出された。非常に興味深く、かつ神話はこのように作られたという裏話の暴露。40年も経つと世の中はおもしろい時代が来るものである。

タイトルを訳すとビートルズメンバーの苦悩が思い浮かんで涙ものである。
「長く曲がりくねった道」とでも言えばいいのだろうか。メンバーの2人はすでに鬼籍の人である。個性的な4人の作り出した楽曲、サウンドはすでにクラシック音楽の領域に達している。ジャンルを超えたビートルズ音楽を彼らは数年で確立して解散、消えていった。決して再結成などなかった。まぁメンバーがこの世からいなくなってしまえば、それすらあり得ない話なのだが。

ロックビジネスというものが2000年頃から本格的になると何かの記事で読んだことがある。それによると今まで解散して音沙汰の無かった当時のヒーローが、初老になって戻ってきて再結成を相次いでする。しかしそれは当時の再現ではなく、聴く者との共感をさらに深め一つの価値観を生み出すというものだった。そしてそれは億単位の立派な巨大ビジネスとして確立すると書いてあった。その通りのことが起こっている。
しかし世界で一番の巨人の再結成はない。できない。
ビートルズの音楽は決して楽しくならない。むしろしんみりしてしまう。心地良い湿り気のある、もろイギリスに年中立ちこめる霧のような潤いのある音楽である。ロックをやってもフォークをやっても変わらない響きがある。ジョンとポールの歌声と歌いっぷりによるものだろう。
ジョンがヨーコを奥さんにして軽井沢によく遊びに来ていたことから察しても、彼は日本が好きだったのだろう。決してアメリカの野放図な開放的な世界ではない。作り出す音楽もどこか陰のある色調を帯びていたものと思う。

両手に紙袋と一切の生活用具をぶら下げた、足取りもおぼつかない老女が、今夜のねぐらを探して車の行き交う車道を横切ろうとしている。昼間彼女を見かけることはないだろう。闇にとけ込むかのように、ひっそりと茂みに消えていった。
白い猫が反対側の道ばたをフラフラとこちらに向かってくる。しばし停車してビートルズを聴いていた僕はドアを開けて呼びかけようとした。しかし見失ってしまった。サイドミラーを見ると車と縁石ギリギリのところをすり抜けるようにソロリソロリと闇に消えていった。

ビートルズという巨匠と一緒できた時代は当たり前のように近くにあったのに、今はとても遠いところにあるような不思議さを感じる。4人の出会いは奇跡であった。彼らの音楽はいつ聴いても瑞々しく、BGMなどとして聴くことができない。忘れていたものや人を強烈に呼び戻してくれる本当に素晴らしい永遠の人類の宝ものである。
(山木康世)