となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

プロレスが好きだった 1

2010年06月12日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

力道山時代ではなく、その後の豊登、吉村、吉の里、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ブラッシー、デストロイヤー、などなど続々と数え上げたらきりがない。30代まで続いた。やがて漫画から抜け出してきたようなヒーローや仮面レスラーがロープやポール最上段に上がったりしてきた頃から熱は冷めていった。
テレビがほしくて、見たくて本家に金曜日の隔週「三菱プロレスアワー」が一番の僕にとっての黄金期だ。
この頃の構図は、ヒーローがヒールをたたきのめすのではなく、悪役の相手は外国人だった。アメリカ人が基本で、こいつをたたきのめすことで茶の間は大興奮、大人は溜飲を下げていたものだ。その背景には先の大戦で原子爆弾などという卑怯手段を使って我が国を滅亡させたアメリカ人に矛先は向けられていたのだ。国だって日米安保条約などを結んではいるが、内心今に見ておれと静かなる内に秘めたる敵愾心でいっぱいだったのだろう。父も体を揺さぶっておもしろそうに見ていた。
この時代のプロレスには音楽など無縁の世界だったようで、番組のオープニングとエンディングに局のテーマが流れるだけで、入場時に個々人のテーマ曲が流れるなど想定外のことだった。
試合を真面目にやっているように見せて番組を盛り上げるのはレスラーばかりではない。レフリーだって試合をおもしろく見せるためには立派な陰の立役者だった。あるときは本当に敵の味方をするように振る舞う。わざと見て見ぬふりをして観客を沸かせる。見ている方は分かっているのだが怒り心頭に発する。沖 識名、ユセフ・トルコが二大名レフリー。その後新日本プロレスという団体が出来て、そこに所属していた阿部某も知名度があった。
その阿部レフリーの思い出を一つ明日記すことにしよう。お楽しみに!
(山木康世)