プロレスが好きだった3
2010年06月14日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
■ジャイアント馬場は千歳空港ロビーで数人の連れと歩いていた。2メートル9センチはやはりでかい。すべてが大きい。パーツのそれぞれが普通の大人の1,5倍はあるであろう。足は確か16文、一文は約3センチなので48センチ?まぁシューズを入れての長さだと思うので、45センチはあったのだろう。馬場が飛んで両足でドロップキックになると32文となる。馬場はいつもほほえみを浮かべていたようだ。あの薄ら笑いが好きだった。
■アントニオ猪木は羽田空港ロビーで一人でいた。猪木は馬場とは対照的に正統派のスポーツ選手のようにあまり冗談を言うような感じではなかった。馬場がいなくなって、俄然キャラが変わってきて、素人の希望者にビンタを張るというのも独特のサービスになった。このビンタを受けたくて行列が出来るのであるから、いろんな人間がいるもんだ。猪木がメキシコのタバスコ日本代理店をやっているというのを知ってから、彼へのプロレス一途というイメージが変わったものだ。
■ラッシャー木村も好きだった。北海道出身というのも親しみがわいた。彼は力道山ばりの黒のタイツを履いたスタイルだった。マイクパフォーマンスがいつしか彼の十八番にもなった。独特の木訥とした話し方で、みなさんコンバンハとか、みなさんコンニチハで始まり、場内は今までの緊張が一時ゆるんで和み独特のムードが出来たもんだ。何度も切れて治った額の何本もの傷跡も思い出す。彼は決して本気で怒ったような顔をしたことがない。
■西武新宿線新井薬師駅から少し新宿方面にいったところに、中井という町がある。中井駅の近くに「かんちゃんの店」と称したキラー・カーンの店があった。一度行ったことがある。今はどうなっているのやら。女性がいるお店で、キラー・カーンも接待していた。日本人離れした大型レスラーだった。ずっとモンゴル人かと思っていたが、調べたら新潟出身の元相撲取りだという。技も大技でチョコマカチョコマカ試合をするようなタイプではなかった。脛まであるブーツが足を長く大きく見せていた。ヒールだったのか、ときにはヒーローにもなっていたような気がする。
■ふきのとう時代、寒い夏の釧路で、プロレス軍団と一緒になった。打ち上げの居酒屋で同席した。なんといつもは敵味方の連中が一緒になって和気藹々と酒を飲んでいた。こちらを認めたかどうか分からないが、新日本の選手だった記憶がある。確か5,6人いたと思うが店内が見事に狭苦しくなっていた。大きな手でビールジョッキを、まるでコップ酒のように空けていた。脂ののった釧路のホッケの開きは最高だ。大皿が隠れるほど大きなホッケは、それだけで腹がふくらむ。レスラーと一緒のビールとホッケを食った夏の思い出。決して挨拶をして、話をしたということはない。遠巻きに眺めていた。スポーツ選手は絵になるとつくづく思う。
■そんなこんなで昔臭く少々野暮ったく愛嬌のあるレスラーのプロレスが好きだったというわけだ。今はテレビ欄を見て、朝から夜のプロレス番組を待ちわびると言うことがまったくなくなった。
(山木康世)