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お節介と親切1

2010年06月16日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

昔読んだことのある本の中にお節介とは、「たとえば粘土をこねて焼き物の器をを作ろうと一人で楽しんでいる人の横に行って、あーでもない。こーでもないと差し出がましいアドバイスをして、終いには自分で手を出してこね始めるようなものだ」のような内容のことが書いてあった。言い得て妙であると合点がいったことがる。本人は親切心で口を出したつもりが、相手からすれば要らぬ発言となるのだろう。お節介と親切は似て非なるものである。

近頃このお節介が巷に氾濫している。特に公共サービスは、親切な世の中の時代からお節介な時代へ移行しているような向きもある。個人レベルではまるで無関心がはびこって、エゴイズムが蔓延、増殖しているようにも見える。
しかし国の借金が国民一人あたり600万円ほどもあると聞いたりするが、ピンとこない。この国は本当に次のギリシアのように破綻の危機を迎えている国なのだろうか。その破綻を来そうとする国が、子供手当と称して毎年20数万円も全員に出したり出来るのだろうか。国のデジタル化などを国民の気持ちも聞かずに一気に出来るものなのだろうか。

公共アナウンスはいかにも親切心にあふれているように見えるが、実は大多数にとってはお節介になっているかもしれない。
昨日の最後の言葉「丸い卵も切りようで四角 ものも良いようで角が立つ」含蓄のある言葉である。これに継ぎ足そう。「ものも言いすぎで腹が立つ」
To be continued

(山木康世)