横須賀YTY音始末記
2010年06月22日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
横須賀は良い街だ。丘の裾野に海がすぐそこに迫っているという感じである。海が迫っているということは、そこに停泊している船がいるということだ。船といってもいろいろある。釣り船から漁船、貨物船、タンカー、自衛艦などなど。その昔は、陸上と共に大いに利用されたであろう海上交通。地図を確かめると、東京湾ののど元、向かいは千葉県館山氏、君津市。君津といえば2年前、「嶺上開花」のジャケット撮影のために訪れた製鉄所のあるところ。こんなところに位置していたとは遠く離れた北海道人には新たな発見である。
高速道を降りてすぐに左手に港が見えてきた。そして前回はお目にかからなかった自衛艦が颯爽と灰色のボディで停泊していた。それもイージス艦、ヘリ空母、潜水艦と10隻ほどもいるいる。
取りあえずハザードランプを点滅、停車状態で公園の中へ。良いアングルに、手の届きそうな距離に停泊しているいる。風は強かったが、日差しが戻ってきていたのでベンチで寝ている中年の男もいる。レストランもある。こんなところで拝むことが出来るとは想像もしていなかった。
YTYは昔映画館だったという。久しぶりに良いライブハウスに巡り合った。ここはしばらく通いたいと直感する。映画館も人が集まって鑑賞する目的で造られた室内。実に演奏していて、自然なのである。一番歌いたかった「三浦半島波高し」は2部の頭に歌った。お客さんからも大好評、年内にもう一度ライブをしようと考えている。
ステージ後方には昔取った杵柄という感じの全画面を利用できる大きなスクリーンが用意されている。これもすばらしい、これからいろいろと使えそうだ。音も良くてやりやすい。アメリカの片田舎でカントリーの店に迷い込んだような錯覚をする。控え室も使いやすく、すべてに余裕のある空間に心が広々とする。これはこの歳にして良い唄を歌う必須条件である。
終演後は地元スタッフと遅くまで話に花が咲いた。
何かと基地問題で取りざたされている沖縄、同様に横須賀は日米の要として問題も起こせないほど、アメリカにどっかりと腰を下ろされて共存している街。
ボディが灰色の船というのは何とも無愛想であるが、「いざというときは」と無言のメッセージを送ってくる。
小泉4代に渡っての街という横須賀は、何かに付け日本の施策に影響を及ぼしている街である。幼い頃の思い出や過ごし方は死ぬまでその人の生き方、思想に反映されると思うからである。
今ここに自分がいるのは過去の歴史があっての話だ。幕府がフランスの援助で造船所をここに建設、その後日本の大事な軍港として今に至っているという。長い時間に埋もれてはいけない歴史という事実。せめて100年前くらい前まで思いを馳せることのできる人間でいたい。
三つ子の魂百まで。
みなさーん、ご来場ありがとー。12月にでもまたあいまショー!
三浦半島波高し
昭和の良き日を思い出す 吹く風も穏やか日は優し
明治は遠くなりにけり 時間も精神も空の果て
どっこい港 横須賀は 観音崎にたたずんで
浦賀水道ながむれば 微かに血潮が騒ぎ立つ
祖国の存亡岐路に立ち カイゼル髭をピンと立て
軍服姿に身を包み 迎え撃つなり日本海
打ちてしやまんバルチック 祖国日本は救われた
列強しのぎを削る中 生き延び東郷ヒットエンドラン
それから何度か戦争が 国を挙げての総力戦
戦に破れた我が国は 一から出直し昭和20年
時は流れて平成の世 百年後三笠は陸にいた
血が騒ぎ泣けてきた港横須賀 三浦半島波高し
(山木康世)