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意外に若かったんだ

2018年09月04日 | カテゴリー: 山木康世 

昭和55年の今日、母との別れの日だった。
59歳、誕生日直前の母との別れをよく覚えている。
台風のような大風の未明に息を引き取った。初めて間近に見る人の死を冷静に見ていた自分がいた。
オレオレ詐欺など小賢しい人間はこの世にいなかった。スマホもSNSもなかった。今より大分人間的な世の中に見える。アナログからデジタルに取って代わった世の中。便利になったが快適か。そうとも言えないか。最後に残るのは人が人に与える心的影響力か。
何かと物騒な天の采配、せめて天上の人たちを思い出して手を合わせるくらいのことは忘れないでいたいものだ。

コメント(14) to “意外に若かったんだ”

  1. カピパラのゆみ

    お彼岸だなぁ。ってカレンダーを見ながら、さぁ、昼食へと思って出かける前にここをのぞいたら、そうですか。
    今日はお母様の命日だったのですね。読みながら、父を思い出して、母にメールしました。

    出先から戻るとき、40周年札幌ライブの「空を飛ぶ鳥」が流れていました。
    心に沁みる歌をじっくり聞きたいときありますね。

  2. ぎたちゃん

    山木さんのことを思いながら、
    外は雨模様を聴いて弾き語ってる自分がいた。
    今日は山木さんのお母さんの命日。
    僕も母のことも思い出してみた。
    昭和48年6月25日。

  3. 花心

    私が山木さんのお母様の祥月命日を知ったのは、「外は雨模様」を聴いてです。
    でも、歌なのでハッキリしたことは分からず、ここ最近のお話でやはりそうなのかと思いました。
    ふきのとうの頃は、友達のお蔭で曲はほとんど知っていますが、実際のコンサートは4回くらいしか行っておらず、色々な状況には疎いです。
    でも、アルバム「野良犬HOBOの唄」は、又暗い歌を聴いてると言われながらも好きで当時はしょっちゅう聴いていました。

    私の母は元気ですが、父の祥月命日は9月6日で、ほぼ毎年お墓参りします。
    亡くなった年がふきのとうが解散した年だったことを、後になって知りました。
    奇しくも67歳でした。
    9月なのにとても暑くて高校野球を随分遅い時期までしていました。

    山木さんが特別若々しいんですが、今思えば意外に若かったんですね(笑)

  4. ファミリー

    今日は、昼間の嵐

  5. muromiho

    台風の影響で停電中です。
    ろうそくが灯る家の中で、
    天国の父母を思うコメントに、
    心が穏やかになる気がします。
    そしてその仲間入りができてしまうことが悲しいです。父がいない、これは夢ではないのか?
    昨夜そんなことを思ったばかりでした。
    もう4年も過ぎたのに。

  6. みいさん

    山木さん、お母さんの命日今日だったんですね。
    今日のダイアリーを読んで。
    みなさんと同じように他界した祖母と父を思い出しました。
    母が働いてたせいか、私は母方の祖母に育てられたんですね。
    晩年は持病の悪化で寝たきりになってしまいましたが、毎年山木さんのお父さんから送ってもらったダリアの花が咲くのを楽しみにしてましたっけ。
    南風の頃をいい歌だねって言ってましたっけ。

    山木さん、今度島原へ帰ったら祖母と父にあいに墓参り行きます。

  7. 山木さん、お母様は若くして天に召されたのですね。
    姿、形は消えても魂は永遠です。。。天国から山木さんの活躍ぶりを
    ニコニコ誇らしげに見届けていらっしゃる事と思います。

    私の母は、この5月5日に、父は数年前の5月12日が命日です。
    二人ともイベント好き(失礼)か、もしくは忘れられない様にとの想いからか
    子供の日&ナイチンゲールの誕生日を選んでくれました(^-^;
    私は仕事がら、死に直面する事が多いです。緩和ケア、看取りケア、死が近づい
    ている事も看て解るので日々悔い無き様な看護をしています(私事で失礼)

  8. 影法師

    あれから、38年経ったんですね。
    9月4日の朝は複雑な思いで迎えます。
    今日はこちらは台風で大変な1日でしたが。。
    天国へ行ったかあさんへ
    新譜ジャーナルに掲載されたフリースペースの
    一部一部が頭の中をよぎります。
    山木さん、若かったですね。お母さんも。。
    私も22才になりました。て、書いてました。
    今は山木さんのお母さんより年をとってしまいました。
    いつか、天国のお母さんとお父さんに出会いたいと思います。

  9. ぴちけー

    山木さまのお母様は、山木さまのお父様と、どこで出会われたのかな~?
    樺太では、ロシア人のお友達もおられたのかな~?
    山木さまが創られた曲が賞をとった時、どんなお気持ちだったのかな~?
    音楽の道で山木さまが活躍される姿をきっと誇らしく嬉しく思っておられただろうなぁ。
    今もお父様と一緒に、ずっと山木さまを見守っておられるだろうなぁ。

  10. えみか

    メルマガにも、お母さまとのお別れの時のことが書かれていますね。 影法師さんも書かれているように、 毎月、山木さんの連載を楽しみにしていた新譜ジャーナルを買って、 学校の教室でルンルンしながら開いてみたら、 目に飛び込んで来たのが、「天国へ行ったかあさんへ」のタイトル。 今のように、情報がすぐに入って来ない時代だったし、 勝手に、快方に向かわれているとばかり思い込んでいたので、 大変な衝撃を受け、頭が真っ白になったことを、鮮明に覚えています。

  11. えみか

    本当に、お若かったですね。 時々でも、思い出して差し上げることが、一番の供養だと聞きます。 私も、心がけたいと思います。

  12. 金木犀

    ♪松太郎さん〜でキミちゃん(馴れ馴れしくてすみません。でも、可愛いのでお許しください)がクローズアップされて嬉しかったです。
    ふきのとう時代はベールに包まれた個人情報。
    お二人の(高校生?)お写真で品のおありになるお母様のお姿拝見できて嬉しかったです。
    まさに、「才色兼備」「良妻賢母」‼︎
    同じ女性として憧れます。
    素敵な御子息様の存在はお母様とお父様のお力と感謝の気持ちでいっぱいです。
    今年は素晴らしいご報告もあって、お母様、お父様の笑顔が目に浮かびます。

  13. 青い鳥

    昨日(4日)から「お母さまのこと」が書かれたこのダイアリーに書き込みをしょうかどうか?…本当に迷いました。
    でも今朝の皆さんの書き込みを見て私も少しだけ気持ちを届けたいと思います。

    本当に申し訳ないのですが、私は「ふきのとう」時代の山木さんを知りません。
    お母さまが亡くられたことも後の会報誌で知りました。

    ですからその時の山木さんの「悲しみ」とか「思い」は、創られた歌の中でしか知ることが出来ません。
    そういう意味でも ♪外は雨模様 ♪ほととぎす ♪空を飛ぶ鳥 は本当に何回聴いても心に染み入ります。
    山木さんのその時の気持ちをそのまま歌に注がれることが、いつまで経っても私たちの心に届くのだと思います。

  14. 青い鳥

    何も言葉を発しなくても聴くだけで思いが届く「歌の力」って本当にあるのだなと思いますね‼ご両親のことをいつも忘れずに、歌の中にいっぱい残されていること…私も母のことを忘れず日々過ごしていきたいと思います。

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