読書
2010年08月20日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
読書をすることは大切らしい。
しかし、いかに大切といっても何を読むか、どんな本をどんな感じで読むかで変わってくる。椅子にきちんと座って読むか、ソファで楽な感じで読むか、横になって読むか、はたまた立ち読みするか。立ち読みは意外と集中できて頭に入るものである。本屋の店先で読んで、あれほど高揚したのに部屋でしっかり読んでもあまり面白くないということが何度もある。
長い短いで良し悪しが分かるというものでもない。それにしてもロシアの文豪は長い。ロシアの風土がそうさせるのか。
僕も若いころずいぶんと本を買った。しかしすべて読んでいるかといえばそうではない、僕の買い方は、そのうち読書三昧の日々が来るだろう。そのときのために買い貯めておこうというものだった。しかしこれは結論としてだめだ。読みたいときに読みたいものを買ってきて読む、これに尽きる。肉体的な衰え、特に眼が弱ってくるという計算を入れなければならない。
読書は集中力がいる。これはある意味で体力のひとつだ。これも意外と衰えてくるもんだ。
ネットで読むPC読書は頭に入ってこない。そして一番の欠点は眼が疲れるということだ。バックライトのせいである。それでも読まないよりは読んだほうがましである。読書も習慣である。若いころなじまなかったら、なかなか年をとってからとっつき辛い趣味でもある。言葉を知って、漢字を知って、読後感のある本は個人にとってかけがえのない終生のものとなろう。
<読書の種類>
■精読
隅から隅まで一字一句逃さない読み方である。辞書を片手に一生懸命読む。しかし読んだあとで、意外に大したことがなかった本であったりするので気をつけた方が良い。大切な時間を泥棒されることになりかねない。
■乱読
これはあれもこれもと手当たり次第次から次へと読む読み方であまり詳しく読まない。大体の内容把握である。
気の多い人の読み方かもしれない。じっとしていられない人向きだ。
僕もこちらの方だ。途中で放り出してしまった本が何冊あることか。
■積ん読
これは字の如く買ってきた本を積んでおくだけの読み方だ。読んでしまうには惜しくて、そのうちじっくり読もうと思うが、眠たくなる。ちょうど手ごろな枕の高さに長編小説はもってこいだ。今もって一ページも開いてもいない。そのうちブックオフ行きとなる。
読書の秋が来る。いつもいつも同じお笑い芸人や、タレントの出るテレビを消して、せいぜい良い本に巡りあおう。
(山木康世)