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大江戸再訪雑魚音会 壱之章音始末記

2010年08月23日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

第一回目の山木塾の開講である。開校なのか、開口なのか、とりあえず「根津の甚八」6時集合。ちなみに同名の俳優は真田十勇士の一人、根津甚八から取ったものと想像す。「寝ず」の甚八だったそうだが、ことの真意は定かではなく作り話という話もあってロマンをかき立てる。

目的は荒んだ現代において、一服の涼を得んがために築100年になろうとする旧い建物での雑魚音会。地下鉄千代田線を降りて地上へ這い上がると、何とも江戸情緒の界隈に出る。それにしても今日も暑い。汗が吹き出る猛暑である。まぁ表通りはそれほど他の区と違いはないのだが、一歩路地へ踏み込むと旧いのである。良い感じの大江戸の臭いがしてくるのである。北海道出のせいもあろうが東京の顔の広さをいやと言うほど見せつけられる時でもある。道の向こうから山本周五郎が、池波正太郎が、とこよなく下町を愛した大作家連が歩いてくるようなたたずまいなのである。

通常の雑魚寝はあまり良い意味で書かれていない。一つの大部屋に何人もの人が一緒に寝泊まりするというもの。民間風習の一つに、年越しの夜に、その他一定の日に、神社などに男女が集合して、枕席を共にした。ともあるのでかなりいかがわしい寝方でもある。もちろん今夜はそんないかがわしさはみじんもない。字が「寝」ではなく「音」であるので、当然雑魚の音楽の集まりというところである。この雑魚音は小生が考えた造語である。音楽人としてはかなり良いセンスの造語であると自負している。今夜は「音」の雑魚であるが「根」の雑魚も考えている。
雑魚とは種々入り交じった小魚の群れと言う感じだろう。大物、小物の集まりともなる。あの巨体の鯨や鮫を支えているのは雑魚やプランクトンである。彼ら小物でも大勢集まるエネルギーが大物を支えている。世の中だって同じだ。もしも本当に現代において大物と呼べる人物がいたとしたら、その人を支えているのは我ら雑魚の集まりなのである。雑魚が泳ぎを止めたら巨体は生きてゆけない。

なんと終了時間を見たら驚いた。3時間45分に及ぶ塾であった。何も難しいことはない。難しい言葉も必要ない。ただひととき、正直な雑魚の食べ飲み交わしである。交流である。
その昔、美原には居酒屋どころか店と呼べるものが売店一軒しかない。雑貨屋が一軒である。子供たちには少々関係ないが、当時の大人たちには息抜きの場が必要だったのだろう。持ち回りで「お呼ばれ」と呼ばれる飲み会を行っていた。そこにお邪魔した子供が一人両親と一緒に写した写真が一枚残っている。生涯あまり幼い頃の写真が残っていない小生のお気に入りの家族の肖像の一枚である。

生きてもいない人間が我が国には100人以上戸籍上生きているという信じられないニュースが届く現代。本当に寂しい時代になったものである。霊園やお寺の広告が華々しく流れる陰に、こんな寂しいニュースが流れる時代になったのである。姥捨て山、ならぬ姥捨て国、世界に冠たる長寿国家日本。
平成になってかなり浮かれた感じの世の中になってしまった。道ばたで倒れている人に誰も目を向けたがらないような時代になってはならない。人間という尊厳のある「人」の道倒れである。お茶の間のテレビでレギュラー化しているお笑いが、ニュースショーが流れている一見平和なこの時間にも忘れてはいけない雑魚の道倒れを見過ごしてはいけない。
我らこれからもっともっと直面するやもしれぬ孤独という道倒れにならぬよう、せめてまず第一歩、こんな雑魚音の会を開講してみた。
「津軽鉄道各驛停車」に音としての足跡を、この夜残してくれた熟成した塾生に乾杯である。
(山木康世)