となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

ゴミの正体 その1

2010年08月25日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

中野区の燃えるゴミの日は火曜日と金曜日。まぁ各家庭から平均的に出るゴミがあふれる曜日なのだろう。すさまじい量のゴミが毎週二回、全国の各家庭から出る。そのために今では有料のゴミ袋でしか出せないような市町村も現れる始末。人口は減少しているというのに、いったいどこから蜘蛛の子のように沸きはい出てくるのか。

本屋に行ったとする。買ってきて部屋でまず本屋の袋を開ける。そして本には下腹部にふんどしのような帯が回してある。何のための帯なのか不思議である。それからその下にご丁寧に上着が被せられている。汚しちゃいけないという配慮か。その下に肝心の本の本当の顔が出てくる。実にシンプルな殺風景な顔だ。これだけで相当量の要らないもの、ゴミが出ている。ほとんどの人は本来不要なものを抱え込むことになる。

今度はPCソフトを買いに出かけたとする。売り場には本屋のごとく多くのソフトが並んでいる。今は、昔ほどソフトは売れていないだろう。PCから直接ダウンロードをする人が多いはずだ。これは音楽ソフトについても同じことが言える。
部屋でまず電気屋の派手な袋を開けると、これまた派手な大きな箱が現れる。箱にはイラストが書かれ、各種説明がなされている。買う前の説明である。中を開けしまっては一切の返却ができないためである。何千円もするソフトを箱の外に書かれた説明だけで買うというのだから、買う方もかなりの踏ん切りが必要である。箱を開けると本体のソフトが収納されたCDが出てくる。これも保護のためかプラスティックのケース付きである。CDはそんなにヤワではなく、表面に傷がついたくらいではデータが壊れることはない。割れてしまえばお仕舞いであるが、割れたという話も聞いたことはない。同じく説明書や案内書がごっそりと同梱されていて重量感を増すような工夫がなされている。買い手が買うときの重さも重要と考えてのことか。肝心の中身は数秒でインスツール。後は再インスツールまで不要と言うわけだ。そんな控えのソフト群の箱がが山のように積み上げられている。

その他電化製品などの過剰な梱包、買いやすい値段の服、家庭用品、日曜大工製品がために、いつのまにか不要なゴミの集積所のごとく増え続けるゴミで占領されてしまった部屋。部屋を探しに行った日のことを思い出す。せっかくましな部屋を見つけたと思ったのにこのざまだ。しかしある程度予測のできた事態ではある。
地球規模でゴミの問題を何とかしようとしている。その陰でせっせ、せっせと企業は過剰なゴミを作り続け売りつけている。かごに乗る人担ぐ人、そのまたわらじを作る人。みんなつながっていることは美しいのだがやっかいである。みんなの連帯責任ということである。
誰が悪いのではなく、まず末端の消費者が要らないと言えば良いのである。店頭で断れば良いだけの話だ。

明日に続く・・・
(山木康世)