となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

「津軽鉄道各驛停車」快走

2010年08月27日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

子供たちが35人ほど音楽室に集合していた。学校の名前は五所川原小学校である。
連絡しておいた先生がロビーに現れて、その後3階の教室で合唱部の子供たちとご対面となったわけである。そこで自己紹介もそこそこに「津軽鉄道各驛停車」の歌詞を配布、歌ってもらうことにした。初め、子供たちは緊張の面持ちだったが、教室内に3回、4回と歌が流れるうちに溶け始め大いなる合唱の輪ができあがった。僕はまるで音楽の先生のように右手を高くかざして、心の中で「歌え、歌え!」と語りかけていた。大成功となった。ありがとう、名も知らぬ五所川原小の生徒たち。

合唱終了後、担当の女性教師が一台のギターを持ってきて「何か一曲歌ってもらえませんか?昔学生の頃コンサートにも行ったことがありますので…」
黒いビニールケースの中から取りだした一台のフォークギター。いやとは言えぬ性分、快く手に取りチューニングを始めていた。よく見ると真っ黒に錆びた弦が6本、これは年季が行っている、ここまで錆びるとはギター弦恐ろしや。今までこの世でお目にかかったことのない弦である。やがて1弦目を合わせ始めた。そのときピンという音と共にはじけ切れた。このギターの持ち主には何と言って詫びを入れたらいいか。これほどまでにギターを弾いて弦が錆びると言うことは非常に熱心な人か、はたまた無精な人に違いない。まぁこの際どちらでも良い。生徒たちと僕をガッチリこの真っ黒に錆びたギター弦のフォークギターが取り持ってくれた幸運に涙していた。

5本の弦で、まだ君たちが生まれる前のずっとずっと前のデビュー曲を歌います。幾つだったんですかと聞かれた。うれしい質問である。「23歳の9月、24歳になる歳だったよ」
先生も生徒も静聴してくれて得も言われぬ感動に酔いしれていた。こんな場面誰が想像していただろう。今朝起きたときだって、学校に足を踏み入れたときだって、君たちに会ったときだってまだ想像もしていなかった音楽会。何も言葉は要らないね。こうして僕の孫のような子供たちを前にして、昔々学生だった頃にコンサートで見たという先生たちを前に一つのドラマがあっという間に生まれて消えていった。

生きていると言うことは斯くも自然に、予想外のことが起きて何ともなく終わってしまう。
「津軽鉄道各驛停車」はこの後、地元の太鼓を入れて、津軽鉄道社長の「出発進行ー!」で走り始めた。
根津で雑魚音の歌人の精神が吹き込まれ、遠く離れた五所川原で完成の域と相成った。すばらしい傑作ができあがった。
「ふきのとう」は過去である。その「ふきのとう」を凌駕した楽曲が完成した瞬間でもある。
あぁ音楽人生は他人が思っているより数倍すばらしく、僕を前へ前へ推し進めてくれる。まるで津軽鉄道のストーブ列車のように大地を覆うほどの雪をはね飛ばして快走してゆく。やってまれ、やってまれ、いざ見参!!
作詞の藤田先生、チョー活きの良いカッコイイ「津軽鉄道各驛停車」整いました!
(山木康世)