となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

アナログとデジタル

2010年09月02日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

HMV渋谷が閉店した。タワーレコードなんかとっくに姿を消してしまった。少し若いころ、レコードからCDに音楽配信が変わったとき、海外の大型CDショップが日本に、まるで黒船がやってきたかのように襲来した。
表現者にとってアナログレコードはいろいろと都合がよかった。あの大きさがまず大きすぎず、小さすぎず格好な大きさだった。紙の持つ柔らかさと、塩化ビニールの絶妙なバランス。しかし買うほうにとっては何枚も大量に買うということはなかっただろう。好きなアーティストはかかさず買ったにしても、見栄で買ったり付き合いで買ったりする人は少なかったろう。存在感のあるアナログレコードは、その分それでなくても狭い部屋を占拠するのだから考えてしまう。
もしもCDがこの世に出現していなかったら、今の何千曲も持ち歩くような聞き方もないはずだ。デジタルの進化系が今の姿である。人間とは恐るべき発見、発明をするもんだ。そんなことをやらかす人間は数字に滅法強く、数字が飯より好きな工学系の人間であろう。学校では目立たないがいつも上位にランクインしている優秀生であろう。

片や音楽となるとどちらかというと文学系であろうか。妄想癖があり、何かにつけてロマンを感じてしまい、人前で涙を流すことをはばからない人間が多いと言えるかも知れない。アナログの時代は両者が拮抗していたが、デジタルになって逆転してしまった。音楽が数字的の色合いを濃くして行った。
その象徴が聞き方に現れている。
昔は聞き始めると30分ほどはスピーカーの前から離れられなかったものだ。一部のマニアは良い音を聞こうと一生懸命工夫をしたものだ。針を交換したり、高価なスピーカーに買い換えたり、アンプを自作したりと音への追求も忘れなかった。東京に行ったら、音楽好きは秋葉原へ直行だ。雑誌で見たパーツやキッドを見に出かける。帰りには輸入盤を買ってくる、なんてハイカラなこともあった。

作る方もポスターを付けたり、曲順をみなであぁでもないこぅでもないと考えた。LPレコードでかもし出せる世界を可能な限り追求して1枚を作り上ようと懸命だった。聴き手は聴き手で歌が終わると次の歌のイントロが聞こえて来るほど好きなレコードは何回も何回も盤がすり減るほど聴いた。1枚聴き終わると、これが待ちに待った待望のレコードだと抱きしめたりもしたものだ。ジャケットを壁に飾ってインテリアの一部にもした。そんなあまっちょろいロマンチックでセンチメンタルな世界は、みんなみんな消えて闇の向こうに行ってしまった。
デジタルが悪いのではない。むしろデジタルの可能性のほうが一般的には大きな貢献度である。しかし音楽の持つ深さ、広がり、曖昧さ、衝撃さなどとの相性が合わなかっただけだ。

楽曲はまるで市場に並ぶ魚の切り身のように一曲いくらと切り売りされ、パソコンへダウンロードされ、聞き飽きたら削除すれば目の前から消えてなくなる洋服や食べ物と一緒になってしまった。今時の若者はCDは買わないらしいが、買ったとしてもさっさとPCにコピーしてMP3化してしまい、ケースや本体はゴミ箱行きになると聞いたことがある。恐ろしく合理的、かつ冷たいなぁというのが印象だった。明らかに僕らの若い時分と大きな違いがあって言葉も出ない。制作者の意図など全く関係ないというところ。
魂の音楽と呼べるものがこの世にあるとしたら、そんな魂の音楽も薄っぺらなブランド品と同じような扱いにされてしまった。
歌は世に連れ、世は歌に連れなどとずっと言われ続けて来たが、まさかこんな時代になるとはお釈迦様でも気がつかなかったであろう。

42歳のとき初めてアメリカに行った。ニューヨークに寄ったときタワーレコードに立ち寄って、日本でも買えるのにマーク・ノップラーの新譜CDを買ってきた。今では絶対にしない旅行の仕方であろう。ちなみに若かりし頃、南青山に住んでいたことがある。ツアーで明け暮れていた頃の話であるが、久しぶりに東京に帰ってきた休みの日によくレコードショップに出かけた。目的は聞いたことのないシンガーソングライターのレコード漁りであった。店主はいろいろとレコードをかけて紹介していたものだ。名もなきシンガーソングライターが未だに心の片隅に生き続けている。

先般、根津で雑魚音会のメンバーの「津軽鉄道各驛停車」のコーラスを録りにデジタルレコーダーをひっ下げて出かけた。後日、青森県の五所川原へも、今度は小学生のコーラスを録りに出かけた。アナログ時代には出来なかった芸当である。事務所で採取してきた音をミックスした。その日も東京は猛暑で暑かったが、ヘッドホンから流れ出る音の洪水に得も言われぬ感動で厚い胸が熱くなった。デジタルとアナログの融合の形の一つだろう。
世の中がどんどんデジタル化してゆく中、僕の心はやはりアナログ思考であることを確認したレコーディングではあった。

(山木康世)