ご先祖様のおかげです
2010年08月14日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
この世のすべてのもの、すべての人の因果応報、これご先祖様のお蔭なり。
今というときがあるのはすべて過去の繋がりからの連鎖の反応、結果なり。
人を羨むも良し、人を恨むも良し。
元をただせば一から始まるものなり。はるか遠い遠い昔我らは同じ一より始まるものなり。
先ずは先の父母を慕い、そして我を慕い周りを慕い、思いを悠久に馳せるなり。
君も我もかけがえのない人間同士なり。
飯食ったか風呂入ったか 寝る前に歯を磨いたか
明日から3学期だ ぐっすり夢見て眠れ
仏壇に手を合わせて おやすみと言ったか
おまえがここにいるのは ご先祖様のおかげです
ひとりで大きくなったとか
ひとりで歩けるようになったとか
ひとりで言葉を覚えたとか
ひとりで文字を覚えたとか
勘違いするなよ みんなみんなご先祖様のおかげです
花に水を小鳥に餌を 金魚の水を替えたか
おまえがやらなければ すぐに死んでしまう
ひとりで大きくなったとか
ひとりで歩けるようになったとか
ひとりで言葉を覚えたとか
ひとりで文字を覚えたとか
勘違いするなよ みんなみんなご先祖のおかげです
札幌はお盆晴れがあるとすれば、まさにお盆晴れです。
ご先祖様も傘もささず、ハンカチも頭に載せず迷わず帰って来られそうな晴れ模様です。
(山木康世)
帯広二葉亭四迷音始末記
2010年08月12日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
帯広と言えば、豚丼、豚丼と言えば帯広と言うほど豚における丼で一躍全国区になった帯広である。しかし僕の中での豚丼はそれほど親しみがなく、いまいち夢中に語れない。味は良い、丼としても良い、しかしネーミングが災いしているのか、はたまた幼き頃の記憶が全くないのが災いしているのか。
店に入ると「ぶたはげ」などという最大級の言葉が目に飛び込んでくる。「ぶた」も「はげ」も当事者にはおもしろくないはずだ。まぁ気にしなければいいのだが、もう少しかわいらしさがあればと思ったりする。「ぶーちゃん丼」はどうだろう。これもいまいちか。みなさんならどんな名前が浮かんでくるかなぁ。
そんなこんなで腹ごしらえをしていざ「ふた葉亭」へ2回目の参上である。
前には見たことがなかった青々とした緑のリングが階段入り口を飾っている。前は秋だったのか、今回の夏全開モードの道東の風景はエネルギッシュに、かつダイナミックに迫ってくる。店内に入ると音楽の店らしい飾り物や写真、ジャケットが並んでいてワクワクしてくる。
前回よりもすべてにおいて○のライブはつつがなく非常に心地の良い夜と整いました。
明けてバスで札幌へ移動、4時間の旅。たまには高速バスも良いモンだ。
明治の文豪二葉亭四迷のネーミングは最上級のセンスである。くたばってしめぇ=二葉亭四迷。ちなみに父からそう言われたのだそうです。
御巣鷹山ジャンボジェット墜落事故から25年という。ご遺族の方は、いろんな25年があったと思います。亡くなった方が生きておられたら25歳歳を取っていたんだと思うと感慨深いモノがあります。僕も職業柄ずいぶんと空の移動がありました。今後もあると思います。普通の人以上に敏感に生きて来ざるを得ませんでした。ただただ安全を祈るのみです。
(山木康世)
釧路此音始末記
2010年08月10日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
釧路の夜は寒かった。半袖では鳥肌が立つほど寒かった。
しかしThis isの二階は熱気と人いきれでムンムン猛暑状態だった。
釧路お初のライブは大盛況、興奮と共に完了いたしました。
オーナーのK氏との出会いは、きっとこれからの人生を豊かにしてくれるであろうと予感したほどの充実だった。
お母さんの100歳生命力を多いに期待する。
僕を呼んでくれたSさんのご尽力に多大なる感謝をする次第だ。お父さんの早い回復を心より祈願する。
釧路の魚はやはり日本で最大級の天下一品。うまくてサンマの刺身、銀だらの味噌焼き、ツブ貝、タコ、イカ、最後に出た塩ラーメン、ほっぺたが落ちてしまい今夜の帯広で発音がうまくいくかどうか不安になるほどだった。
明けて今日はまた格別の訪問となった。
僕が30歳の歳に作ったアルバム「野良犬HOBOの唄」をこよなく愛してくれたO氏が念願のライブハウス「HOBO」を作って1年になると言う。
そこで昼に出かけみた。店内は昨夜のJAZZとは趣の違う日本のFOLKが充満していた。
O氏は道内各地のライブにヒグマの如く出没、高校生の頃からの支持者と伺った。うれしいもんだ。何がってFOLKの精神が引き継ぎ受け継がれて残って行くという無上の喜びだ。
こんな人や店を知ると、ますます良い唄を書き続けなければと思う。
昔の唄を酒の肴に、新しい唄を今宵の子守歌に、そんなイメージで霧の中電車を右手に、左手にはるか太平洋を望み帯広へ向かう。
又来蔵(またくるぞう)、みなさーん、ありがとー!
(山木康世)
網走血走音始末記
2010年08月09日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
民主党M議員の応援ライブで駆けつけてから7年の月日が経つ。
夜の女満別に星が降っていた。
翌日網走ちぱしりにてライブを行った。M議員とはお初であるが、ふきのとうの話などで盛り上がった。今、民主党Oの秘書として時折顔を出している。
あれから7年3回目のライブは誠に気持ちの良い夜となりました。
打ち上げで出されたトマト、キュウリ、大根、インゲン、芋、青シシトウなどなど裏の畑でとれた野菜の数々大変おいしゅうございました。大学の4年後輩であるというオーナーS氏と妙な出会い、因縁で今に至っている。大学という糸で結ばれた絆を多いに感じ入って店を後にした。
又お会いしましょう。
ただ今、小清水原生花園、左手に釧網本線、濤沸湖を望みながら野付半島、トドワラに向かっております。「風来坊」アルバムジャケット写真がよみがえって参ります。その向こうに広がる海はオホーツク海です。その海の遙か彼方には知床連山がかすんでおります。
標津漁協直売店にて念願の塩引きをゲット!少々買い込みご満悦で一路釧路を目指してレッツゴー。
(山木康世)
本日19時から網走ライブ!
2010年08月08日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー
網走は夕方になり、だいぶ涼しくなってきました。
ただいま「ちぱしり」にてリハーサル中。
1943年(昭和18)製マーチンの乾いた音をぜひ聴きにいらしてください!
札幌盤渓音始末記
2010年08月07日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
Pm07:00 藻岩山の向こうも晴れなり。
Pm10:00 現地盤渓は曇りではあるが雨は降りそうにない。
Pm14:00 出番4曲を歌う。なんとか天気が持った。はるか向こうに青空も見え始めている。晴れ男、この時点では健在なり。
Pm15:00ポツポツきやがった。
Pm16:00かなり強い雨が降りはじめ、表にいたが会場楽屋に戻る。
Pm17:00本降りとなる。驟雨という奴だ。
Pm18:00土砂降りの中フィナーレ。
Pm18:15皮肉なことに雨は上がって山の中腹から上には霧が幻像的に漂っている。
この日の出演者たち
佐々木幸男、稲村一志、はじめ、山木康世、ジミー東原アコースティックバンド、境長生、五十嵐浩明、VOICE、堀江 淳、鈴木一平以上なり。
まるで波瀾万丈の男の人生を見るような、本日の天気模様ではあった。
【驟雨】
シュウウ
にわか雨。「驟雨不終日=驟雨は日を終へ不(にわか雨は一日と降り続かない。強いものは、久しく続かないことのたとえ)」〔老子〕漢字源より
(山木康世)
痛み
2010年08月05日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
肩が凝っている。奥歯が痛い。膝の関節が痛い。頭が痛い。お腹が痛い。腰が痛い。手の指関節が痛い。足の親指関節が痛い。昨日ぶつけた箇所が黒ずんで痛い。等々。
痛みは生命維持装置の防御反応で、この反応がなければ人間は悪い箇所に気づかずに死に至るという。自分の身体であるにもかかわらず、分からないことが多すぎる。
子供時代は一時的な痛みで、原因を取り除けば当分痛みとは無縁で生活できる。
しかし年をとるにつれ痛みはいろいろなところに顔を出し、慢性のものとなり、いつもご主人様と同居して生活して行くと言うことになる。こんなにも身体に痛みが出てくるものとは若い頃想像できないことだ。案外痛みとの戦いの日々が年をとった人の姿なのかもしれない。ガタが来る、錆び付く。父も母もそうだったのだろうか、あまり聞いたことがないので分からないが人知れず痛がっていたのかもしれない。先日のラジオのくりまんさんも右手の親指付近にサポーターをしていて辛そうだった。何が原因ではなく、老化による内部の肉体的変化ではどうしようもない。個々人で微妙な違いがある。
人間は生きて行くために多くの臓器や多くの骨、筋、肉で支えられている。しかしそれらはすべて日々新陳代謝をしていて、じっとしていない。しかし、考えたらそれらすべてが人間を形作っているパーツでもある。パーツがそれぞれの役目を支障なく毎日履行している。決して異常な行動を起こそうとしない。もしも異常な行動を起こしたとすれば、それが病気や怪我と呼ばれるやっかいな代物である。生まれてからこの方、その人にあった歩み方でずーっと何とか来た。それがその人自身でもある。あとは脳と心臓が大事なパーツである。とりわけ脳が精神、心と呼ばれる領域。
心も傷む。そして高じると自分が自分を傷めて人間辞めましたとばかりに取り返しの付かない事態を引き起こすことも人間では可能だ。他の動物は自ら自分を辞める方法を知らない。一部の動物は集団行動で訳の分からない死を選ぶこともあるという。
議員が不祥事を起こすと、すぐに辞任である。議員の辞任。それが責任の取り方であると思っているのか。辞めることで水に流せるとでも思っているのか。辞めるのは簡単だ。辞めないで働いて働いてその間に税金を皆に返そう、戻そうという議員の話を聞いたことがない。そのような償い方もある。
戦後65年、当時の身体的傷、心の傷を負って生きてこられた方が大勢いる現代である。100歳以上のお元気な方が4万人もいる日本であるという。そのうち、やがてこの世から戦争の記憶のある人がゼロになる日が来る。体験していなくても勉強すれば二度と悲惨な殺し合いをする無意味さを少しは理解できる。
傷みを分かち合える人間になりたい。
(山木康世)
スクラップブック
2010年08月04日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
父は実にまめな人だった。毎日の最高気温、最低気温を年間カレンダーに書き入れていた。これはダリアの畑の調整に毎年必要な自分だけのデータベースだったのだろう。母がいなくなってからも、実家に行くとキチンと片付いていて教えられること多々であった。
父は昔、九州一円へ母と退職祝い旅行をした。僕が大学の頃の話だ。その頃カメラに凝っていたのか、多くのスライド写真を撮ってきて家で撮影会をした。そのときの父の表情はいつになくご満悦である。だいたいにおいて写真にしろビデオにしろ当の本人たちはおもしろく見るのであるが、長い時間見せられる他人は決して本人たちと同じ気持ちではなく、まだあるの?がよくある話。気をつけなければならない。
押し入れの中に一冊の大きなスクラップ帳が残されている。その九州旅行のときに父が訪れた旅行の足跡だ。泊まった宿の資料、領収書、弁当の包み紙、その他各地で得た情報を父なりにスクラップにしていた。40年ほど前の日本の事情をかいま見る思いがして中々興味深い物がある。決して父はスクラップマニアではなかったが、このときは、ほとんど初めての母との九州旅行思うところがあったのだろう。
父は非常に好奇心の旺盛な人だった。あらゆることを知りたがっている風だった。分からない言葉や英語の単語があるとすぐに広辞苑を開いてひとり合点を打っていた。完璧にそのDNAは受け継がれている。オランダに一緒に行った時のビデオを父は僕に会うたびに、これに音を入れて編集したいと僕の顔を見ながら誰に言うともなく言っていた。
思うにスクラップブックもあまり巨大に成りすぎると、ビデオやデジタルカメラの写真に近い存在になってどこから見て良いか、どこに何があったか分からなくなる。人生の時間の中で本当に自分にとって有意義、かつ必要なスクラップなんて大きめのスクラップ帳一冊で足りるのかもしれない。それより必要なのは明日への未だ見ぬ夢や希望だろう。現代は過去の物を保管するには大変便利な時代である。黙っていたら、それこそ過去の物を集めるだけで終わってしまうかもしれない。くれぐれもご用心。要らない物は躊躇なく、勇気を持って捨て去ろう。
昔の時代の人と同様に父もあまり思い出に残る物を残していない。ビデオなどもほとんどない。しかし父が精魂込めて何かを求めて作り続けたオリジナルダリアたちと、一冊のスクラップ帳を眺めればいつでも会うことが出来る。
あぁー部屋に溜まったカスのような必要のないものを、どこから手を付けて整理すればいいのだと思いながら、こんなことを思った次第である。
(山木康世)
高円寺演芸船音始末記
2010年08月03日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
記録である。何がってかい、距離さ。
今までは事務所から一番近いのが江古田マーキーだったが、それも及ばない近さのライブハウス「ショウボート」でのライブであった。マーキーが近いとは思っていたが、「来たーっ」ていう感じである。事務所から歩いてでも行ける隣町の高円寺駅から徒歩5分というところに、開業17周年という老舗のライブハウス「ショウボート」であった。老舗というには多少若いか、今が一番脂の乗りきるときだなぁ、と思ったよ。
ショウボートといったらミシシッピ川を走っている演芸船とでも訳したら良いのか。内部は黒色の壁で昔風ライブハウス、良い感じの空間である。楽屋、防音も空調も完全、よく出演者のことを考えておるなぁ。
到着するとステージにはすでに手取り足取り、痒いところに手が届くというほど完璧なステージセットが整っており、何も言うことなし。実にスムーズな開演前の音合わせができた。
これで練馬区、杉並区のライブハウスに出没したわけであるが、我が中野区はまだである。あまり近いのもなんだなぁ、顔が知れ渡り遊びにも行けない、なんてことになったらことだし。
ここまでは昨夜本番前、楽屋でカキコした文章。以下はその後の文章。
アンコールで「めんどりぶるーす」を演奏した。イントロを演奏していてひらめいた。出来るだけ英訳して歌ってみようと急遽脳が指令をした。脳はいつ何時何をしでかすか分からない。そのうち僕自身を認識しないようになるかもしれない。そうなると肉体は単なる容器でしかなく、脳が主人である。
まず悲しいかな冒頭のめんどり(雌鳥)が浮かんでこなかった。チキンでも良いか思ったが、雌鳥は何か他の単語があると思って、和訳はやめた。オハヨーは「グッドモーニング」、なんて調子で6番の死んで皆に食べられるシーンまで進んだ。そして最後「焼き鳥のブルース」を脳は焼きバードとした。何?バードになってしまったか。単なる鳥に哀れ雌鳥は変身してしまった。我が、最高学府出の英語能力検定試験は落第、こんなもんさ。
しかし脳はそのときめまぐるしくめんどりぶるーすが終わるまで、いつになく最高にフルに発揮、あーでもない、こーでもないとエンジン全回転、実に身体に良い時間を体験した。これは健康にとって大変良い若返りであると発見した。しかしいつもいつも許されるとは思わないが、こんな試みをお客さんの前でいつまで続けられるか、見物であるな。
物忘れ、ど忘れ、人の名前を思い出せない、周りでよく聞く脳の堕落である。これを防いでいつも若々しくいるためにはこんな遊びを心がけていれば、まず大丈夫だろう。
年内にもう一回おじゃましそうな感じである。今度は何して楽しもうか、今からワクワクである。
「音楽」字の如く、大いに音を楽しもう。
演芸船の店長以下心優しいスタッフ様、ありがとうございました。
そしていつも我が音楽人生を支えてくれる雑魚音の皆様、これからもよろしくと行きたいものです。
(山木康世)
浮かれ調子で純情商店街
2010年08月01日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
明日はいよいよ高円寺ライブ。
そんなこんなで、こんな歌も作っちゃっただ。
聴きに来てくだされ。待ってるよー。
浮かれ調子で純情商店街
狂おしいまでに 君の笑顔は 僕を虜にした
許されるなら このままずっと 君と一緒にいたい
あー高円寺 純情商店街
君が横町の向こうから
僕は浮かれ調子で 待ち伏せしようか
あー猛暑の夏は無関心
踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら
踊らな損損 行こうか戻ろうか あーえらいこっちゃ
あー高円寺 純情商店街
君が携帯を手に持って
僕は浮かれ調子で 君が大好きだ
あー君の心は無回答
時は室町 ここは高円寺村 武蔵野台地
氷川神社に源頼朝 深い鎮守の森
あー高円寺 純情商店街
君が下駄をカランコロンと
僕は浮かれ調子で 手ぐすね引いて待つ
あー頼朝はこの際無関係
新宿駅からJR中央線で 西へひた走り
東中野過ぎやがて中野 次が目的地
あー高円寺 純情商店街
君が浴衣着て小走りで
僕は浮かれ調子で セントラルロード
あーライブ見に行こう ショウボートへ
(山木康世)