となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

スクラップブック

2010年08月04日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

父は実にまめな人だった。毎日の最高気温、最低気温を年間カレンダーに書き入れていた。これはダリアの畑の調整に毎年必要な自分だけのデータベースだったのだろう。母がいなくなってからも、実家に行くとキチンと片付いていて教えられること多々であった。

父は昔、九州一円へ母と退職祝い旅行をした。僕が大学の頃の話だ。その頃カメラに凝っていたのか、多くのスライド写真を撮ってきて家で撮影会をした。そのときの父の表情はいつになくご満悦である。だいたいにおいて写真にしろビデオにしろ当の本人たちはおもしろく見るのであるが、長い時間見せられる他人は決して本人たちと同じ気持ちではなく、まだあるの?がよくある話。気をつけなければならない。

押し入れの中に一冊の大きなスクラップ帳が残されている。その九州旅行のときに父が訪れた旅行の足跡だ。泊まった宿の資料、領収書、弁当の包み紙、その他各地で得た情報を父なりにスクラップにしていた。40年ほど前の日本の事情をかいま見る思いがして中々興味深い物がある。決して父はスクラップマニアではなかったが、このときは、ほとんど初めての母との九州旅行思うところがあったのだろう。

父は非常に好奇心の旺盛な人だった。あらゆることを知りたがっている風だった。分からない言葉や英語の単語があるとすぐに広辞苑を開いてひとり合点を打っていた。完璧にそのDNAは受け継がれている。オランダに一緒に行った時のビデオを父は僕に会うたびに、これに音を入れて編集したいと僕の顔を見ながら誰に言うともなく言っていた。

思うにスクラップブックもあまり巨大に成りすぎると、ビデオやデジタルカメラの写真に近い存在になってどこから見て良いか、どこに何があったか分からなくなる。人生の時間の中で本当に自分にとって有意義、かつ必要なスクラップなんて大きめのスクラップ帳一冊で足りるのかもしれない。それより必要なのは明日への未だ見ぬ夢や希望だろう。現代は過去の物を保管するには大変便利な時代である。黙っていたら、それこそ過去の物を集めるだけで終わってしまうかもしれない。くれぐれもご用心。要らない物は躊躇なく、勇気を持って捨て去ろう。

昔の時代の人と同様に父もあまり思い出に残る物を残していない。ビデオなどもほとんどない。しかし父が精魂込めて何かを求めて作り続けたオリジナルダリアたちと、一冊のスクラップ帳を眺めればいつでも会うことが出来る。

あぁー部屋に溜まったカスのような必要のないものを、どこから手を付けて整理すればいいのだと思いながら、こんなことを思った次第である。
(山木康世)