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東京都中央区日本橋小舟町東京音楽堂ピアノホール2025年が終わってゆく

2025年12月31日 | カテゴリー: 山木康世 

思い起こせば前回日本橋音楽堂ピアノホールで絵に書いたような夕立に遭って、立ち往生、傘もないので帰れなくなった。そこで一計を案じてタクシーを拾って近くの駅へ。しかしあまりにも近い距離は悪いと思い神田まで走ってもらった。神田まで行けば中央線にすぐ乗れる。何故か中野へ早く帰りたかった。中野に着くと雨はすっかり上がって穏やかな夕暮れだった。「今日はいつもとガラリと違う日本橋での初ライブ。お江戸日本橋七つ立ち。朝の四時に出立。京都への旅の時間である。何かと日本のヘソのような日本橋。ここから東西南北へ旅人は旅立つ。しかしトークで勘違いして銀座と思い話してしまった。これは気をつけねばなるまい」と戒めたのにまたもや勘違いしてしまった。まぁ良いか。
2回目の日本橋は暮れも押し迫って残すところ2025年も2日である。お客さんも忙しいだろう、無理を言って申し訳ないなと思いつつ、異常なほどセキュリティーの厳しいピアノホールでのYAMAKINGS。思い残しのないように存分に弾いて吹いて歌い収めよう。
本年は118本YAMAKINGS。118×20曲。実に2360曲歌いきったわけである。1日に換算すると7曲毎日歌いきった計算である。日頃述べている「修練」は精神や技術を磨き鍛え上げることとある。目的や到達地点はないのであろう。決めようがないのである。
何らかの事情で止めざるを得ないときが終点。走ってきた電車から降りる時なのであろう。
本日の本編ラストは「寝ぼすけじいさん」であった。作った頃は、架空のお爺さんに向かって歌っていた。それがいつの間にか自分に問いかけ励ましているようにも感じた。長い時間歌ってきたなぁ。無意識に指が手が指板を駆け巡る。生きている証である。「無常」の世界が頭を巡る。子どもたちの計算のない歌は僕を感動させた。心を揺さぶり「無常」を教えられた。お正月の会報で少しこの「無常」という言葉を考えて見たいと思っている。
前回の夕立も無情であったのであるなぁ。今回で2025年最後も無情である。子どもたちの歌声も今となっては無情なのである。色々なことを勉強した今年の75歳は来る来年76歳へ弾みや飛躍を秘めているだろうか。
ご来場の皆々様へお渡しした、奇妙な形と虫のような馬の絵馬を見ながら今日の日を思い出してくだされば幸いでございます。瞬間瞬間の刹那は愛しいものですが、無常でもあるのです。
本当に今年一年もお世話になりました。来年もまたお会いしましょう。健常な心身は絶対唯一無比な宝物ですね。

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