京都市冬青庵能舞台古き良き日本古来の伝統精神は良いもんだ
2025年09月23日 | カテゴリー: 山木康世
「冬青」という言葉を知ったのはここで9月にライブを行う、と言うことで今までの生活に於いてまったく関わりのない言葉だった。
「とうせい」と読んで調べると・ソヨゴの異名・モチノキの異名とある。ソヨゴもお初。ソロバンや駒に使われる堅い木とある。モチノキは聞き覚えあり。こちらは樹皮や果実から抽出した液をノリ状にして枝の先に点けて小鳥や昆虫を捕らえるために使われる。とある。
どちらも現代では使用頻度の少なくなった言葉である。しかしソロバンが子供たちに普及し始めているというニュースも聞いたりしているので、微笑ましいソヨゴのお話。ソロバンを算盤と書く。父は生前よく5玉の算盤を手にしていたな。僕は全くダメ。算盤が出来る人は、頭に算盤が浮かんで計算をするとき球をはじいて暗算を素早くすると言う。これは習っておいた方が良かったなぁと思ったりする。頭のためには脳を使わなくてはいけない。何でもかんでもカードで済ませて現金を数えなくなっては脳の一番の安楽である。小銭を所持していて乗り物の乗車くらいには使った方が楽しい。
トリモチの方は実際に使った例はないが、なぜか懐かしい風景。夏休みに昆虫や小鳥を捕まえる子供たちが夕景に浮かんでくる。妄想族の所以ゆえ許しておくれ。
さて肝心のお能の方であるが600年来の日本の伝統芸の一つである。その舞台を下見に伺った今年の春、「トウセイを知って、ソヨゴ、モチノキのことも知った。勉強になる。ここら辺はその昔冬青の木が生い茂っていたのか。そして今般の能舞台に多く使われているのか。良い名前であるなぁ。
礼儀として、ただ舞台を拝借するのは失礼と思い、烏帽子と黒の足袋、法被を用意して臨んだYAMAKINGS。
お陰様で満員の中、楽屋からGibson、ハモニカと共に「橋掛かり」という廊下を渡り松の描かれた背景の舞台へと登場、遂に始まった念願の能舞台、心身共に大変に新鮮で生き生きと2時間1本勝負は始まった。今回はノンマイク、アンプラグド果たしてどうなることやら。舞台の中央は音が良く響くように作られているのかお客様に良く届き渡っているようで「タイムトラベル」は直ぐに心を舞台に、今日の日になじませてくれた。この冒頭先発部隊は成功したようである。昨日の深夜の速達便「雪の町へ」も成功だった。汽車は走って走って北の町へ。そして撮影タイム。僕はお客様への感謝、サービスで舞台の周囲へ。大勢のスマホがこちらを見ていた。今日の良き日をどうぞお手元に共有して下され。アンコール、ここぞとばかりに「弁慶と義経」オープンDの全開、全力疾走、2時間越えの「冬青庵」は完遂した。51年はだてではなかった。やはり時間というモノは必要なのであるなぁ。付け刃では真似の出来ない身に染みこんだものがものを言う、と言うことを実感する。
大盛況、大成功、最後にオーナーが床に正座して頭を深々と垂れてお礼を申して下さった。普段立ったままで握手などをして慣れてしまった欧米風挨拶、別れの姿に忘れていた幼い頃の畳の文化、日本の古き良き古来からの人との交流を思い出してしまった。
本当に良い一日だった古都京都「冬青庵能舞台」よ左様なら。明日は岡山ブルブルが待っている。

満員御礼、ありがとうございます

撮影タイム!22秒

リハーサルです

高瀬川沿いを散策

ランチ後に鴨川を眺めるカフェでアールグレイティーを