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東京都昭島市フローラカルチャークラブ昭和町と拝島村

2025年10月13日 | カテゴリー: 山木康世 

1954年僕が4歳のころ、昭和町と拝島村が合体して市制。市名は両方から仲良く一字ずつ取って昭島市。現在の人口は約11万人、北海道小樽市と同じような規模の街。
僕が生まれる前の戦前には軍需施設があったというから、何かと軍関係の街だったのだろうか。その頃は辺り一面クワ畑があって養蚕が盛んだっという。
八王子から横浜まで絹街道と呼ばれる道路がある。その時代、絹は重要な輸出産業。ここら辺り一帯は絹のためのお蚕さん業者が大勢いたのだろう。横浜から海を渡って世界へ絹の織物は羽ばたいていた。絹製品は高価であるが、部屋に物があふれる現代、多少値の張る持ち物や衣類は自分だけのアイデンティティ確立のために必要なのかもしれない。みながみなアイフォン、ダイソー、ユニクロでは寂しすぎる。
10月といえば立派な晩秋、初冬のはず。それにしてもおかげさまで日中は少し汗ばむが、夕方から夜にかけて程よい気温が続く。
昨晩は開けた窓の隙間から一匹の蚊がコンバンワ。脛や腿に痒みを覚えて明かりをつけるとヤツは慌てていた。さっそく金鳥渦巻に火を点けて眠りについた。
「銀色の世界」「柿の実色した水曜日」「月天心貧しき町を通り系」「晩秋情景」おなじみ秋色の冒頭と相なった。歌ってていて遠い故郷のことを思っていた。故郷の人は昭島などという街も知らないし、聞いたこともないだろう。
今回「深夜の速達便」はお休み、ショットタイムも次の機会へ。

しっとり落ち着いたよき空間ですね


全国からのお客様、ありがとうございました

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