となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

新宿永谷ホールFu-いよいよ高貴高齢者の仲間入り。

2025年10月22日 | カテゴリー: 山木康世 

先日白内障の施術をして医者嫌い病院嫌いと言ってられなくなったなとジョイさん連に感謝した。
鉄はいつの間にか酸化してボロボロになる。生きる者に必要不可欠な酸素の成せる技。鉄でさえあの様なのだから、もろくてナイーブな骨や肉などは必然的に壊れる運命にあるのだな。実に皮肉な神様の采配。
75年生きてきた。今年のバースデーライブは本当に贅沢で申し訳のない時間を皆さんと共有できて幸せである。古希の五日間も貴重なイベントだった。あれから5年が過ぎたとは、さすれば後5年も直ぐにやってくるのか。80代突入か。
いつの間にか歌で生きる道を歩いてきた。それも自作自演とは恐れ入谷の鬼子母神。
新宿永谷ホールは月日の匂いを感じさせる旧いホールだ。人間は生きていく上で匂いを発して生きて行く。毎日毎日新陳代謝をするためには食べて古くなったモノを外に排出しなくてはならない。しかし人類は匂いを消し去る技術を発明、クリーンな人間像をこしらえた。
人間臭い歌をより強く作らねば成るまい。それとも少し鼻の穴を狭めてしまえば済むかも知れない匂い問題。しかし美味しいモノの匂いまで分からなくなっては困るな。
昔の家の中は臭かった。いろんな匂いが入り交じって臭かった。習慣と慣れで自分の家の匂いは気にならなく、むしろ懐かしさや居心地の良さを感じたりした。他人様の家の匂いを奇異に感じたりした。早く帰ろうと母親と玄関を後にする。そして思いっきり外気を吸って「うまーい!」しかしその空気中に潜む酸素は鉄をボロボロにしてしまうんだぞ、とは気がつかない洟垂れ小僧も75歳になった。
早いですね。明日は本番、嘘偽りのない日で、母の子宮から空気を吸うために思いっきり這い出でた記念の日である。父は自転車で1時間もかかる職場から急いで駆けつけて何を思ったことか。1950年10月22日は日曜日なのでつじつまが合わないぞ。役場に届けた日なのかも知れない。札幌の10月と言えば晩秋情景。吐く息も白いつるべ落としの夕暮れは寒かったろうな。産婆さんの森さんのおばさん、ありがとうございました。森さんがいなかったら、先ず畳の上を第一歩、そしてこの世を歩き始められなかったのですから。
みなさんお忙しい中、誠にありがとうございました。
南青山MANDARAでお会いしましょう。

コメントする