となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

「我田引音」

2010年02月25日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

「我田引水」とは自分の田んぼに水が流れ入るようにし向けるエゴ行為。
所詮人間も動物。動物のエゴは想像以上、共食いはまだしも子供まで食べてしまうこともある。まさに生きるか死ぬかの瀬戸際になるとなんでもござれ。
ライオンも満腹の時は、非常におとなしいが、いざ腹を空かすと自分より大きい相手にさえ牙をむいて襲いかかって仕留める。矛先は人間でもお構いなし、抜けるような健康的な青空の下、清々しくキッチリと容赦はしない。
食欲のなせる業、欲とは空恐ろしい。

赤子も腹を空かす。しかし満たし方を知らないので回りに泣いてアピールするしかない。そのうち誰かが手を貸して腹を満たす。徐々に成長すると、人の目を盗んで腹を満たすことを考える。もっと頭を働かせると人に押し入って食うものを奪う。こうなると犯罪だ。犯罪とはエゴの最終形だ。犯罪の最終形は戦争、故に戦争とはエゴの断末魔。故に戦争に幸福はない。正義もない。
地獄が待っているだけ。オリンピックもスポーツという美名を借りて国と国が争う武器を持たない戦争の代理行為。疑似戦争。あまり加熱、過激になるとしらけてしまう。

空腹時のエゴは仕方ないとして、満腹時にでもエゴの強い人種がいる。いかにもこちらに親切そうに振る舞っていても、最後は自分かわいさでばればれである。

僕はテレビに出るのが苦手だ。昔から写真を撮られるのが苦手だった。
それが今、この商売で暮らしを立てているのだからおもしろい。
今でも動画は緊張、動悸、息切れ、発汗、苦手である。
今時のガキはビデオなど向けられるとキャッキャ言いながら近寄ってくるが、昔のガキはカメラを向けられると固まってしまったものだ。

テレビで顔を売っている人種はほとんどがエゴ系と言っていいだろう。クラスに一人や二人いただろう。人をけ落としてまでのし上がるタイプがこれである。このけ落としタイプが政治家になったらどうなるか。人民の暮らしぶりなんか構っているはずがない。まずは自分なのだから。僕はこの手の学友に全く関知せずで、もっぱら自分に引きこもってギターをかき鳴らしていた。これを「我田引音」という。

しかし選挙で投票され選ばれる人間は、そのうち皆このエゴ系の人間ばかりになる。このからくりを知って覚悟しておかないと、とんでもない裏切りが待っていて右往左往する。待てど暮らせど良い国にはならない。テレビが始まったときから、不幸の赤子は成長し始めていたのだ。

有名人が政治をやるのは矛盾しているのかもしれない。人知れず夜ごと人々が寝静まっても、人民の暮らしを考えて翌日の方策を考える。この人知れずからして有名だとできないのだ。矛盾という意味がおわかりでしょう。

「我田引水」は悲しいかな人間の性(さが)だとしても、そこを「他田流水」するのも人間なのである。動物には絶対行えない美しい行為なのだ。せめて空腹でない時くらいこんな人間でいたい。それが無理なら「我田引音」に努めよう。

(山木康世)