雛祭り
2010年03月03日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
3月と言ったらまだまだ雪の中だった。
ずっとそうだった。ひな祭りも雪の中のお祭りだった。だからこのお祭りの日は寒々としていて、外を見ると桜なんかまだまだで真っ白い雪が大地を被っている。吐く息だって昔の家の中では白かった。朝起きると掛け布団の首のあたりに霜がうっすらと付いている記憶もある。寒い寒い美原の冬の記憶。3月には春の足音がまだまだ聞こえない。
少々顔の汚れたお内裏様が男女、去年と同じ衣装で並んでいる。
お内裏様が最上段に、身の回りをお世話する3人官女、笛・太鼓・鼓・三味線・鉦を打ち鳴らす5人囃子とひな壇に続く。我が家では最上段のお二人が3月に登場していた。後の方たちは省略と言おうか、余裕がなかったということか。
女の子の成長、幸福を願って年に一度お祝いをするひな祭りの日は上巳の日で五節句のひとつであるという。この日曲水の宴が行われたともいう。何とも風流な遊びを昔の人はしたものだ。
きょくすい‐の‐えん【曲水の宴】
古代に朝廷で行われた年中行事の一。3月上巳、後に3日(桃の節句)に、朝臣が曲水に臨んで、上流から流される杯が自分の前を過ぎないうちに詩歌を作り杯をとりあげ酒を飲み、次へ流す。おわって別堂で宴を設けて披講した。もと中国で行われたものという。[広辞苑第五版]
お内裏様とは、昔の天皇、皇后の呼び名とは知らなかった。
僕らは知らない間に国中の一家、一家で天皇、皇后を年に一度お飾り、お祝いしていたのだ。
幼い頃、親戚の家などに行くと薄暗い奥の間に仏壇があって、鴨居に天皇、皇后のお写真が飾られていた。更にその横にはご先祖様のお写真、戦争でなくなった親戚の人などが仲良く並んでいた。
ボンヤリとお写真を見ながら、この部屋は昼も夜も年中この人たちが何となく漂っているような気がした。少しヒンヤリして何かしら怖さも感じたものだ。この神聖で畏怖の念を感じる空気感というものがなくなってしまった。
ものが少ない分、心の中を探り合っていた時代が長い間あった。ものが部屋中にあふれかえる時代になって心があっちこっちに寄り道をして、大事な人間の魂を考え、探り合う時間が少なくなってしまった。
本当に「豊かな時代」とは何なのだろうと考えさせられる現代である。
ヒマナツリヒナマツリ
ボタン雪フワフワ ボンボリ三月
心のお池の縁に ポツネンと座って
日がな一日 なんにも釣れない
ひまな釣りひな祭り ボンボリ三月
笛や太鼓鳴らせど 桃の三月
どちら吹く風やらと 君も連れない
お内裏様と 可愛いおひなさま
ひまな釣りひな祭り 桃の三月
茶だんすの上にも 弥生三月
まんじりともせずに お澄まし並んでる
明かりつけましょうか お花上げましょうか
ひまな釣りひな祭り 弥生三月
(山木康世)