となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

山羊にひかれて

2010年03月11日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

僕が初めて沖縄に行ったのはデビューの年、1974年「白い冬」が売り出された直後のこと、JALのイベントでダカーポと一緒だった。歌が売れると言うことを肌で感じ始めた頃のことだ。ダカーポはすでにデビューしていて「結婚するって本当ですか」が売れ始めていたいた。男女デュオのダカーポは息の合ったハーモニーを聞かせた。その後二人は夫婦になるのだが、今でも根強く活動を続けている。

プロとして仕事を始めた実感をひしひしと感じた初めての沖縄である。
沖縄に着いたときの第一声は「アツー、何この暑さ、故郷じゃ初雪の便りが聞こえると言うのに」そして驚いたのは、まだ返還直後でアメリカ文化が色濃く街を染めていたということだ。空港直ぐ横の入り江にはベトナム戦争で使用したと思われるアメリカ軍のカーキ色、迷彩色の車両や船舶が数多く見受けられた。最前線と言おうか、アメリカの植民地のような感じだった。

車は左ハンドル、右側通行、空港にはイエローキャブ並みの南国らしい派手なタクシーが並んでいた。乗り込むと深いシワが刻まれた浅黒い目鼻立ちのはっきりした運転手が迎えてくれた。
車内は日本だ、というよりやはり南国の感じだった。窓を開けると湿った生ぬるい海洋性の風が吹き込んでくる。空には勢いよく流れる白雲が見える。高い山がない沖縄は平坦な島というイメージだったが、道は山あり坂あり、クネクネと北海道では考えられない道幅の狭い道をタクシーはノンビリと独特の民家の建ち並ぶ住宅街を突っ走る。

沖縄は台風が良くお邪魔するので、壊されないように石造りの塀が家を守っている。家々の瓦屋根にはシーサー(獅子さんの意)という 魔除けの一種で素朴な焼物の唐獅子像が夫婦で仲良く座っていた。これはかなりのインパクトがあった。沖縄は信仰の深い土地である。ご先祖様を敬う、古いしきたりを生活に普通に取り入れている。実に性に合う。

ホテルの宴会場で行われた打ち上げの席で、沖縄の民族舞踊を披露された。初めて見る踊り、聴く音楽にすっかり魅了された。ここは本当に日本なの。そして2次会で連れて行かれた民家風の居酒屋で山羊の金○、亀の刺身、色鮮やかな南国熱帯魚の刺身などを泡盛という焼酎とともに鱈腹頂いた。この先何度か訪れるであろうこの街を僕はすっかり気に入ってしまって山羊にひかれて街を散策する夢を見た。

しかし肝心のダカーポとの仕事の現場は記憶の断片も残っていない。これは脳のなせる業の一つで衝撃的で記憶に値するものから順番に近い方の引き出しに入れてあるのだろう。ということは仕事は色あせたあまり興味のない現場だったのかもしれない。帰りの復路の思い出と言ったら空港にあった免税店でタバコを買ったくらいか。免税店というのも国内では考えられないシステムで外国らしかった。

今親しくしている沖縄の数多くの知人友人は、まだこの時点ではお目にかかっていない。未知との遭遇はその後訪れて、ますます山羊にひかれて思えば遠くへ来たもんだとなるわけである。数えて何度目の沖縄であろうか。
さぁ赤いハイビスカスがお待ちかねだ。

(山木康世)