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「山木康世の”花”が登場する歌の中で、好きな一説は?」

2010年03月17日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

「桜の花を道連れに 川の畔にたたずんで~♪」

えーと、この歌はなんという歌だっけ?

此此然然アンケート”「山木康世の”花”が登場する歌の中で、好きな一説は?」”ランキング で唯一メロディーが浮かんでこなかった。
後は頭の中でフレーズとメロディーを直結して読んでいる。
自分が作った詩なのにひどいものである。
まぁ今に始まったことではないので驚きもしないが。
新年に百人一首と称して自分の歌を百種選んで、下の句、上の句の札を作って会員の皆さんと遊んだことがある。
山木倶楽部会員は僕よりも若干若い人が多く占めているので、この手の遊びを主催したとき少々驚きと興味を持って臨まれた。

その昔、お正月になると本家に親戚一同が集合してお祖母ちゃんへ新年挨拶したものである。
その際お昼の食事が終わったら畳の間に毛布を敷いて百人一首をよくやったものである。冷凍庫のような部屋にストーブが炊かれ、大勢の親戚の人が一同に会して体温で徐々に部屋が暖まってくる。この感じを今でも思い出し、好きである。
小学生に上がる前の子供にとっては木札にかかれた漢字は読み手から読まれても読めない。そこで大きなひらがなや大きな漢字の書かれた札を自分の目の前においてもらって、その札が読まれたらすぐにとる準備をした。
北海道では下の句だけを読む。読み札は厚手の紙でできており、取り札は木でできている。調べるとはこれは江戸時代よく行われていたものという。
 「奥山」「むべ」「秋のゆうぐれ」‥‥
記憶をたどっての話なので間違いがあるかもしれないが、これらの文字を覚えている。
木札に書かれた大きな文字。

当時のお正月、子供はお正月だけ遅くまで起きていても良かった。という古きよき時代である。間違っても深夜家族でスナックなどに行き、まだ年端も行かない子供とカラオケを大音量で歌うなどという破廉恥行為は親が許さなかった。世間が許さなかった良い時代である。これは今でも変わらず子供にとって良くない行為であると断言する。
テレビもまだ普及しておらず、テレビゲームもなく遊びといえばカルタ取り、トランプが多かった。中には親と花札などという家もあった。マージャンもあっただろうが我が家にはなかった。「家族合わせ」という3枚の同じ札を集めるカルタも好きだった。今で言うパチンコか?
団塊の世代は一番人口が多い、ということはかなりの確率でこのかなり頭を使う高尚な「百人一首カルタ取り」はポピュラーなものであるのか。

「山検(山木検定)」と称して紙による検査をして遊んだことがある。どれだけ僕の歌を知っているかという歌詞の穴埋め試験である。悲しいかな、ほぼ全滅であった。何気なく耳から聴こえてきた音楽はそれほど強烈な文字と一緒になって脳には刻まれていない。かなり深く思い出さないと出てこないのが現状である。
あるとき、歌詞の書かれているパソコンが壊れて立ち上がらなかった。そこで急遽開演前に紙に書き出さなければならないということがあった。そこで歌いたい歌はあるのだが思い出せなく困惑した。いきなり二十数曲を思い出しスラスラ書くというものは至難の業であった。もっとも暗記して歌詞カードなど読まないで歌うというスタイルであれば何も問題ないであるが。いまどきの若いバンドの人で譜面を立てて歌っている人を見かけたことがない。よほど練習しているんだなぁと感心することしきりである。ついに思い出せない歌詞を相談したら「創って歌えばいいじゃん」というご機嫌なイベンターの返事には呆れたり驚いたりと笑ってしまったが、先ほどの「山検」の現状を知っていればそれもありえた。
近頃歌詞を間違えても、昔ほど恐縮しなくなった。これも「山検」のおかげである。以前は顔から火が出るほど恥ずかしくなり恐縮したものである。

頭は使わなければドンドン鈍くなりさび付く。度忘れ、名前忘れ、物忘れいずれも普段の行いから来るものである。くれぐれも気をつけよう。パソコン歌詞などに頼らなくても一字一句間違えなく淀みなくスラスラと歌えるよう‥‥あぁー無理だ、無理だ、長年の生活習慣病はすぐに治るもんじゃない。

ところで
「桜の花を道連れに 川の畔にたたずんで~♪」
なんという歌でどんなメロディーだったでしょうか?

(山木康世)