きるなのねかねのなるき(切るなの根金のなる木)その3
2010年03月20日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
そうか今日は北海道へ行く日だった。それにしてもおいしい夢だった。覚めないでほしかった。周りを見渡すといつもの乱雑した小部屋にギターが一本。朝日に輝いている銀色のビルディング。まさに富の象徴が輝きそびえ立っている。
公的資金=私たちの働いて支払った血税をつぎ込んで大企業を助けることを強いられる空しさを誰が救ってくれるというのか。国からの説明も、企業からの御礼も何もない。
金はそのうちなくなるかもしれない。こんなに人々が海を越えて行き来している現代において、歴史の証人としての価値はあるが、お互いの価値観に換算して使い分けているという時代遅れ的な現実。電子マネー、カードというものに変わろうとしていてますます現金の実態が見えにくくなってきた。給料は銀行へ振り込まれ、雇う方と雇われる方、おたがいの労使関係を正確ではあるが業務的なものにしてしまった。直接手で俸給袋を渡され労働の引き換えにもらう昔ながらの有り難味を感じる現金システムが俺は好きだな、と言ってみたくなる。
話は少し横道にそれるが、先日沖縄からの帰りのJAL便でチケット引換証を検査の窓口でかざすと座席案内票が出てきた。その裏を何気なく見ると「マックホットドッククラシック賞」と書かれている。よく読むと期限付き無料引換券であった。全国のマクドナルドで朝10時半まで使えるという。いつもだとよく読まないで使い終わったらさっさと捨てたりするもんだが、今回は注意深かった。初めて知ったキャンペーンに驚いたり喜んだり、最後の最後まで幸運な沖縄の旅だった。
大昔、金という代物がなかった頃、古代人は物々交換、それから石の大きさや量で価値基準を決めてほしいものを手に入れた。大きな石に穿(うが)たれた中央の丸い穴に棒をさして担いで持っていく古代人の姿が見えてくる。石では重たくて不便なので、今のような金を考えた人がいた。洋の東西を問わず紙と金属というのも面白い。その昔、狸が木の葉を紙幣に、石を正金(しょうきん)に変えた。
青梅街道中野近くの坂道、とある会社の玄関入り口に大きな丸い石が鎮座している。実に存在感があり車で通りかかるときいつも目を奪われる石である。
<終わり>
(山木康世)