となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

男一匹どこへ行く

2010年03月28日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

30周年記念で「自己流」というCDを作った。
それとともにTシャツ、記念お酒、フィギュアなどを作って楽しんだ。
であるからフィギュアは54歳の自分の写しである。人形には魂がある。魂が入っている。
応援し隊に買われていった山ちゃんはいろんなところを旅して喜んでいるだろう。
観光地各地から届く便りは真に心が和み、口元が自然にほころぶ。
風景だけの写真がフィギュア一つだけでこれだけ生き生きとするのかといつも感心して見ている。
生の人間よりも様になっている。ギターを弾いている姿がまず良いねぇー。

こんな姿でいつも人前で写真に納まることは不可能だ。いつもギターを持って歩けるわけではない。
しかしバッグに収まってご主人様と一緒に旅している山ちゃんは観光スポットに着くと取り出され、いつも同じ顔、姿でカメラの前に立つ。決して表情を変えるわけでもないし、ポーズを変えて受けを狙ったりしない。実にけなげである。
犬や猫がかわいいのはけなげであるからである。人間の機嫌を伺ってヨイショなど決してしない。そこがかわいいのだ。裏を返せば、自分勝手な人間が求める相手の姿なんだろうか。いつも変わらずに自分と接してくれる相手は自分の心を静めてくれる。いきり立った心を収めてくれる。仏像や銅像が崇められるのと似ている。
クルクルと変わる自分勝手な人間が思い描く己の理想の姿を見せてくれる。天気、相手の態度、自分の調子などで一秒とも留まっておれない己の心模様。
しかしこれでは生きていけない。なぜか?たまには叱ってくれる人や道を示してくれる人や一緒に泣いてくれる人がほしいんだ。そんな弱い人間が寄り集まって生きているのが社会なんだなぁ。

山ちゃん、これからもたくさん良い所へ旅して連れて行ってもらえよ。
あー男一匹どこへ行く。

(山木康世)