後志巡礼京極旅後始末記
2010年03月29日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
京極ライブを終えて楽屋で片付けをしていたらドアがノックされて一人の男性が顔を見せた。
「3分良いですか?」
「どうぞ、どうぞ」
「美原出身のFと申します。康世さんとは2歳違い、みなさんお元気ですか?上のお姉さんと一緒だった」
「えーそうですか、僕も覚えてますよ。兄弟で美原の話になるとよく名前が出ます。あの頃はみんなで外で遊ぶのが子供たちの過ごし方でしたね。テレビゲームも任天堂もないからみんな寄り集まって遊びを考えて過ごしていた」
「僕の初恋は上のお姉さんでした。ガキ大将でワルばっかしてましたわ。ステージの美原の話に涙が出そうになりました。今、色紙持ってきますからサインをお願いできますか」
62歳になるというF・Yさんは色紙を手に、奥さんを連れ立って戻ってきた。挨拶をしながら色紙にサインをしながら考えた。
今更ながら美原という特殊環境が今の僕の原点である。「農林省後志馬鈴薯原々種農場」というのが正式名だ。
山の中の国の小さな小さな農場で過ごした3歳から10歳までの7年間が今を支えている。というよりその時間に形成されたわけだ。
当時札幌で過ごしていたら全然違う僕がいただろう。歌も書いていないだろう。違う仕事をしていただろう。違う人格で今を生きていただろう。幼い頃どこでどういう風に過ごすかでその人のかなりの部分が形成される。名ばかりの故郷ではない美原、本当に今の仕事をしていて感謝の故郷、美原、後志、そして札幌だ。
多少引っ込み思案がマイナスかもしれないと考えるが、奥ゆかしさと考えたらマイナスではないと首を縦に振ってみる。
今の日本の低迷の原因は時の主役の幼い頃の過ごし方を見ればわかってくるかもしれない。
総理大臣を筆頭に国を引っ張る人間たちの幼い頃の過ごし方が今の国造りに反映されているかもしれない。
メディアでテレビ画面に出てくる人たちの幼い頃の姿を眺めれば将来の国の姿や人の姿が見えてくるかもしれない。
他者に影響を与える人たちがどんな人か今の時代とても大事であると思う。もしかしたら国家試験のような検定が必要かもしれない。
これからは子供を国の税金で育てるというらしいが、果たして他人を思いやる優しい人間になるために僕らの税金が使われるかどうか見ものである。
山の中で見たもの、聞いたものといえばせいぜい新聞、ラジオ、漫画、遅れてやってくる映画くらいだった。必要のないものは入ってこなかった良い時代である。周りに勝手にバリアが施されていた。
今は地球の裏側の見なくて良いものまで見えてくる時代、何を選んで、何を捨てるか。個人の力が本当に試される時代で僕らは覚悟をしなければ船を進めていけないほど海は荒れている。天気予報の空模様も明るくはない。
帰りの千歳空港は雪が降り始め飛行機の窓から外が見えなくなるほどだった。まずまずの天気で3月の終わりを過ごせた幸運に拍手だ。
今度来るときは5月、雪もすっかり溶けているだろう。
しかし最後に付け加えておく。美原の隣に真狩という村がある。そこの出に同い年の細川某という演歌歌手がいる。
上に書いた持論がすべてではないなと思った次第である。
(山木康世)