上野駅から雪の町へ
2010年04月10日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
上野駅は自分の中でずっと東京の玄関だった。
まだ集団就職という言葉が生きていた時代、北海道、東北から金の卵といわれた中学卒業生たちが春先、大勢玄関に降り立ちそれぞれの職場へ巣立っていった。毎年春のニュースで上野界隈が紹介された。
高校修学旅行で初めて上野駅に降り立った。ほぼ24時間の修学旅行専用列車に揺られ到着した北海道の田舎モンは東京の匂いに大いに興奮した。窓の外に広がるキューポラのある街、夕方に上野の旅館に入り、夜9時まで自由時間。
銀座のACB(アシベ)へグループサウンズを見に行った。湯原某とスイングウエストが歌う~♪降りしきる雨の舗道 頬つたう銀のしずく♪~。学生服、学生帽のグループを見て、ステージから「君たちどこから来たの?」と声がかかる。「北海道」「稚内か?」「札幌」2階席の暗闇から応えた。
帰りの地下鉄口に迷ってしまい大幅に遅れた旅館で担任にこっぴどくやられた17歳の秋。上野恩賜公園、犬に引かれた西郷さん、不忍池とともにくっきりと脳のヒダに刻まれている思い出。
それからしばらく東京は遙か海の向こうの大都会で終わっていた。
22歳であろうか、ジェット機で羽田空港から東京に入り込んだ。フォークコンテストだったと思う。
上野は山手線のどこか北の方にある街のイメージで玄関ではなくなってきた。玄関は東京駅に変わってきた。そのうち東北新幹線ができて、当初はつながっていなかったが、やがて東京駅から上野駅まで地下でつながった。
昨夜大学の同期と酒を飲んだ。遠い北に故郷を持つ昔の大学生にとっては、上野で飲むのと東京の他の町で飲むのと雰囲気が違ってくる。ここが縦に長い日本の北と南を分ける地だと勝手に思っている。久しぶりの上野駅は懐かしさが残っている駅舎である。全国どこの駅も同じような顔になってしまった今、天井の高い広々とした構内はどこぞの外国の駅のようなたたずまいで名駅である。中央改札口の大きな玄関口は非常に明快である。東京駅にはない天井の高さが名駅たるゆえんであろうか。混雑していても息苦しくない。
東京に暮らし始め音楽生活をスタートした23歳の6月。あれからギターを肩に何回ここに降り立ち、ここから旅立ったのだろうか。
蒸気をモクモクと吐いてホームへ滑り込んでくる汽車がよく似合っていた上野駅。パソコン、デジタル、携帯、メール、ネットなどの言葉が非日常の時代の話である。あー上野ステーションよ永遠なれ!
33年前にこんな歌も生まれた。
雪の町へ(1977年)
夕焼け空の赤に 僕は目を細めて
悲しく染まる横顔を いつまでも見ている
長い影が二つに この道で別れる
凍てつくような風の中 冬の足音聞く
冷たい君の手を ポケットの中で
もう一度にぎりしめ 暖めてあげたい
汽車が出る汽車が出る 遠い雪の町へ
君を乗せ君を乗せ 遠い遠い雪の町へ
今日は「柏WUU」でお待ち申し上げます。上野からは常磐線で直通25分です。
(山木康世)