となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

旺盛であること

2010年04月29日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

父は何かにつけて旺盛な人だった。
第二の人生で土地を一町歩ほども買い込んで、自ら開墾し、家を建てて念願のダリア研究生活に入ったのが60歳からだった。それまで国家公務員の仕事中どれほど好きなことをしたかったことだろう。
車の免許を取ったのが70歳、ハンドルは遊びが大事だと必要以上にハンドルを遊ばせて、ハラハラしながら空港まで送ってもらった懐かしい思い出。
父はラジオの人だった。昔の人はみなそうであろうが、テレビを見ながらの食事をきつくたしなめたりした。確かにテレビが我が家に来始めの頃、食事時は消していたかもしれない。家族の会話がなくなる、とぎれる、テレビの話題で話が明後日の方角が話題になったりしたら、父は家族の会話を大事にしたくて嫌がったのかもしれない。しかし子供たちがみな大きくなったらそんなことも忘れてしまったように、テレビは付けっぱなしだった。母の法要でお坊さんが来てお経を上げていたとき、茶の間の片隅からNHKアナウンサーの声が聞こえたりしていた。
テレビは目と耳を持って行かれる。ラジオは耳だけで済む。旺盛に生きたければ、目を自分の道にもっともっと向けて生きて行く必要があるかもしれない。
テレビを見ながら畑仕事はできない。テレビを見ながらおいしい料理は作れない。テレビを見ながら受験勉強は身に入らない。テレビを見ながら人の相談相手になれない。テレビを見ながら針に糸を通せない、裁縫で着物をうまく仕付けられない。テレビを見ながら子供をうまく躾けられない。
テレビは大量の情報を送り込んでくれるかもしれないが、大事な何かを毎日毎日一秒一秒を無駄にしてドブに捨てるような日々を送らせるようにし向けているのかもしれない。
父はダリア畑でSONY製「ふきのとう記念」携帯小型ラジオをこよなく愛して持ち込んで聞きながら勤しんでいたようだ。父の何事に付けてもの旺盛さを懐かしく思い出す。父のことを思い出すと真面目にならざるを得ない。
さぁ今日から10日間西日本を彼方此方旺盛にライブに勤しもう。
(山木康世)