となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

クック

2010年06月25日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

昭和が終わって平成が始まった年1988年、8年ぶりの東京暮らしを始めた。4月初旬、桜が咲いていたが雨の寒い夜だった。
ある日新宿へ買い物へ行った。今から考えると、西新宿前広場もそれほど車の量が多くなく、ちょいと停車して買い物が出来た。
中央地下には駐車場がある。そこにつながる螺旋状の車道を出ると緑の生け垣に出る。そこに止めていた車に戻る際の出来事は生々しい記憶としてよみがえる。
生け垣の中を何気なく見たら黒い小さな物体が動いている。初めネズミか何かと思い観察していた。しかしその物体の動きは鈍く、子供のようである。おそるおそる手を伸ばして生け垣の中の物を引っ張り出した。
何と鳥の子供だった。子供といえども手のひらで大人の雀ほどの大きさもある。何の鳥だろう?かわいそうにこんな生け垣の中に置き去りにされて、でもどうしてこんな場所に迷い込んだんだろう?まぁ連れて行って飼育しよう。
早速町の小鳥屋で鳥のえさと水飲みを買ってきた。段ボールの箱の底にティッシュを広げて鳥のヒナを置いた。ヒナは盛んにおびえて鳴いている。腹も空いているのだろう。少しえさのヒエ、アワに水気を含ませスプーンで食べさせた。ヒナは美味そうに食い始めた。たくさん食べて大きくなれよ。おまえがどんな鳥になるのか楽しみなんだからな。クックという名前にしよう。
それからクックの世話が日課となった。あっという間にクックは大きくなった。産毛のように生えていた柔らかい毛も、しっかりした羽や毛に変わってきた。徐々に正体を現し始めた。おそらく近所の公園に多くいるハトだろうと踏んでいたクック、しかしどうも体の色が茶色っぽい。
ついに判明する日が来た。クックは辞典で調べると普通見慣れている色のハトではないキジバトであることが分かった。
数日たつとクックはどんど大きくなり飛び上がりたくてしようがないような仕草をするようになった。ヘリコプターのホバリングのような感じで、バタバタと力強く羽ばたき体を少し浮き上がらせる。もうこれ以上になると数日で手に負えない大きさになるだろう。羽ばたく回数が日増しに増えて室内に抜け毛や埃が舞い上がる。ベランダで籠にでも入れて飼わないと部屋の中を飛び回るだろう。あの大きさで飛ばれた日にはかなわない。
何とかせねば。
クックがいない。暑かったので少し窓を開けて用事を足して戻ってきたら、クックは巣立ってしまっていた。ベランダに出てクック、クックと声を出して探した。そのとき一羽の鳥が飛んできて、手すりに止まった。クックだ。クックはまだ事務所の周りにいて旅立つ大人の仲間入りの準備をしていたのだ。クックは首をかしげてこちらを伺うような仕草をした。クックと呼んで手をさしのべた、そのときクックは本当に空高くいなくなってしまった。表に出てどこかにいないか探したがそれっきりいなくなってしっまった。
クックは別れの挨拶をしにいったん戻ってきたのだ。僕が帰ってくるのをどこかに止まって待っていたのだ。
今でも道ばたや公園のハトを見かけるとクックと言ってしまう。クックの骨も皮もなにもかも、すっかり跡形もなくこの世に存在しないほど時間が過ぎたが、一羽のキジバトと僕のドラマは鮮明に残っている。

父は美原にいた頃、よく野鳥を捕獲していた。カナリヤ、セキセイインコも数多く飼っていて世話を任せられた。鳥の具合が悪くなったり、運悪く死んでいたりすると偉く悲しかなった。自分のせいで殺してしまった。冷たく硬くなった体はもう元には戻らない。生き物の生死に人一倍敏感な感情は父の計算外の躾にあったと思う。

幼い頃から生き物に触れあって、関わりのある毎日を子供には過ごさせなさい。他の酸っぱいことを何も言わなくても、人一倍他人に優しい子供に育つこと間違いなし。父は案外、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんからこのことを聞いていたのかもしれない。
(山木康世)