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夏の夜には君を偲んで

2010年07月02日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

父と一回だけ寿司屋に行ったことがある。
お盆といっても夜になるとヒンヤリする北海道の夏の夜。そんなお盆に帰省した。
早来の町で精霊流しが行われるという。父と二人連れだって町の中を流れる川へ行った。大勢の人たちが手に手に自作の小舟を持って川に流すのを待っている。やがてアナウンスが入り川縁からローソクの灯された小舟が放たれる。みんなみんなの縁者たちの魂がまた一年サヨウナラと天上に帰って行く。
静かな流れに沿ってゆったりと、ゆっくりと岸部を離れてゆく小舟たち。

夏の夜には君を偲んで

夏の夜に君を偲んで みんな遠くからやって来て 
迎え火の代わりに 裏庭で花火上げて迎えた
葡萄畑に蛍が飛んだ 夏の夜空に星が流れた

君が突然いなくなって 一年過ぎた早いよね 
君の思い出話 スイカ食べながら 夜遅くまで
葡萄畑に蛍が飛んだ 夏の夜空に星が流れた

町を流れる 川に行って 小舟浮かべて見送った 
来年までさようなら ローソクの明かりきれいだったよ 
葡萄畑に蛍が飛んだ 夏の夜空に星が流れた

今から帰って父の用意する遅い夕飯を食べるには申し訳ないほど遅かったので、帰り道、一件の寿司屋に立ち寄った。生まれて初めてである。父とこうして寿司屋に入るとは、昔は考えも及ばなかった。学生時代は何かと近寄りがたく、あまり親しい感じのしない父であった。
寿司屋に入ってビールを頼む。壁のメニューを見ながら「何にする?上寿司で良いかい?」「何でも良いさ…」今夜の送り火の話をつまみに小一時間店にいた。会話らしい会話を覚えていない。一つだけ鮮明に覚えている父の言葉「俺が寿司で一番好きななのはマグロの赤身。これが一番好きだ。」父はマグロだけで満足するような人だった。おそらく寿司屋などには自ら入らなかった時代の人だったろう。今でこそ回転寿司などごまんとある時代であるが、その昔は高嶺の花で何かがないと入ることはなかった寿司屋。そして寿司といえばマグロの赤身だったような覚えもある。我が家だけかもしれないが。
いっぱい機嫌で後は寝るだけ、タクシーで実家に戻った。母が生きていた頃は母が待っていたので実家に戻ってもほんのり暖かかった。そんな暖かさもなくなって30年にもなる。母がいなくなり父一人の実家に帰ると、男特有の孤独な感じが部屋に満ちていてあまり好きではなかった。
父は冷蔵庫から瓶ビールを持ってきて「飲むか?」「ウン」
俺も座ったままでいるのも申し訳ないので、急いで立ち上がり台所からコップを二つ持ってくる。
父はもうそんなに飲めるほど若くない。すぐに真っ赤な顔で顔を伏せて居眠り始める。「もう遅いから寝るべ」父はそれでも起きていたく、久しぶりに帰ってきた息子より先に寝ようとしない。が今度は机に突っ伏してしまった。万事休す「さぁ寝よう、俺も寝るよ」
俺は二階に上がり母が使っていたベッドに横になった。物音が立たなくなり、すっかり暗くなった実家。時折深夜を走る車の音がする。さぁ明日はダリアの手伝いでもするか。

ちなみに上記の詩は「宇宙の子供へLoveSong」の原詩である。
これから3日間広島、福山、岡山といざ見参。
(山木康世)