進化する写真家
2010年07月14日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
70年フォークという言葉がある。感じとしては吉田拓郎から始まるフォークといってもいいだろう。
1970年といえば、僕は20歳、大学2年生だった。グループサウンズが徐々に姿を消して、カレッジフォーク、キャンパスフォークなどと呼ばれる大学生フォークが巷に出現。アメリカの大学生の起こしたフォークソングムーブメント。根底にはベトナム戦争(1960~75)泥沼化がある。あのアメリカさえ手に終えなくなった戦争はいつまで続くのか、という厭世的ムードが音楽の世界に漂っていた。今の楽天的な音楽の世界とは大違いである。
そんなフォークがやがてニューミュージックという呼ばれ方をして、限りなく歌謡曲に近い日本のフォークへと変わってゆく。その途中でふきのとうは世に出た。
レコード会社、事務所は全国を飛び回り新人探しをする。金の成る木はないかとスカウト合戦が始まる。ラジオ局主催のコンテストが始まる。今の歌い手はビデオやDVDでプロモーションフィルムを作り自分たちを売り込む。実にうらやましく頼もしい姿である。
あのころの青年たちには考えられない自分売り込みの形である。あの頃の青年はある種、あなた頼り、ネガティブ思考の人が多いかもしれない。良く言えばみんなで作り上げようという協調性が強いかもしれない。
アーティスト、ディレクター、宣伝マン、編曲家、デザイナーらが周りを取り囲む。その中にカメラマンも重要なポジションを占めていた。仕事が順調に成ってくると専属カメラマンによる、統一されたイメージを作ろうと誰ともなく考え始める。スタジオでのレコードジャケット撮影、雑誌取材撮影、ツアー同行密着撮影。当然日常を共にするように成ると、味のある写真が撮れるように成るというわけだ。
あのころ果たして何人のカメラマンが業界にいたのだろう。ほとんどの人が還暦を過ぎているだろう。今でも現役で撮りつづけている人を見ると、彼の裏に潜んでいるであろう人生を妄想してしまう。彼にとっては偉い迷惑かも知れぬが、どうしても癖で妄想してしまう。
のぞきこんだレンズの向こうに何を思って、彼の右手の親指は何度シャッターを押したのだろう。仕事とはいえ虫の好かない人間もいただろう。それでも彼は機嫌を装ってシャッターを押す。デジタルではないので暗室に入るまで出来具合が分からない。うまく撮れているだろうか?そんな彼の撮った一枚がジャケットになり、永遠の記憶として世間の人の目に焼きつかれる。アーティストによる音楽もあるが、同じくらい重要だった写真。
写真がこの世に普通に存在し始めて百数十年というところか。その前の人たちとの決定的な違いは、自分の姿を後に留めることができるかできないかということにある。この違いでどんな人間性の違いができてしまったのだろう。妄想してみよう。
昨夜とても東京人らしいカメラマンNさんと飲んだ。粋なのである。若かりしころ、彼は来日外人アーティストを数多く撮ってきた。彼の中に自然に備わってしまった小意気という世界観。Nさんに10月日経ホールコンサートのシンボリックに成るような写真をお願いした。どんが写真が還暦を祝ってくれるのだろう、どうぞお楽しみに!
デジタルカメラは日進月歩、進化しつづけている。進化する写真家。
このブログをお読みのみなさんへ、ふきのとうおよび僕のシングル、アルバム問わず好きなジャケット写真の声をお聞かせください。
雨による災害から早く復帰されるように願っています。
(山木康世)