となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

かっちゃんへ

2010年07月17日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

かっちゃん、いなくなって寂しいよ。何も悪いことしていないのに理不尽だよな。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。

コンビニで商品を探していたとする。一人の若者が目の前を何の躊躇も会釈もなく通り過ぎる。首根っこを捕まえ、何だよ人の前を何も言わずに無礼者。通るなら俺の後ろを通れ。
なぜむかつくか。己があたかもそこにいないかのように振舞われる、いわば存在を無視されることへのやり場のない怒りである。切れる人間のタイプは自分の疎外感を異常なほどに感じるタイプの人間なのであろう。来るはずのバスを待っていて、満席で食事の順番を待っていて、宝くじを購入するために待っているときに割り込みされてむかつくのも同じである。
中国人はオリンピック開催まで並ぶということをしなかったそうだ。順番待ちができる民族は意外に少ないのかもしれない。ずっとこれらのマナーは人間に生まれながらに備わっている共通認識だとばかり思っていた。しかしこれらはしつけや、親や先生の教育によるところが大きいのだと確信するに至った。故に若者の目の前無視通過は由由しき事態なのである。無視通過を若者も感じているならいざ知らず、何も感じていないのならもっと事態は深刻である。誰も教えていないということだ。年端の行かない子供だって教えられれば分かるほどの簡単な問題だ。
鶴田浩二が「古い人間とお思いでしょうが」と右手を耳に持ってゆき、眉間にしわを寄せて教えたマナーを、お母さんたちは口すっぱく可愛い息子、娘に教えておかないと、将来とんでもない国に住む羽目に成るので注意しよう。最悪のシナリオは何の関係もないのにナイフでブスリ、横断歩道を渡っている最中に突然突っ込んでくる車。事が起こった後に怒りたくても死んでしまっては、死人に口なしである。己の人生をこのような馬鹿野郎様に終えられてしまっては、元も子もない。死んでも死に切れないというところだろう。
(山木康世)