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江古田魔ー鬼ー音始末記

2010年09月07日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

やれやれもうすでに土曜日から3日も過ぎてしまった。
ついつい忙しさにかまけて日々を過ごしてしまったらこの様だ。あれほど会場でブログの話をしておいて、期待をしていたお客さんには申し訳ないく申し訳ないく平身低頭。

もうよい、もうよい(お客さんの声)

9月4日も東京は猛暑.残暑どころではない。しかし8月に比べると幾分湿気が減ったようで、蒸し暑いというよりは直射日光の暑さという感じでしのぎやすくなったか。
今日のマーキーは僕にとって特別な日。母の命日である。30年前母は他界した。
僕は札幌保全病院で早朝野球、不覚の左足首骨折、全治3ヶ月退院まで1週間というところだった。母はこの日、朝4時ごろ平岸にある幌南病院の一室で息を引き取った。窓を激しくたたく風どもを思い出す。母を風どもも一緒になって「まだ行っちゃだめだ、逝っちゃだめだ」と起こしているようだった。翌日は夜明け前のお別れがうそのようで青空にはたくさんの赤トンボが飛んでいたっけ。兄貴と病院の帰り道、喪服を買うことを相談しなければいけないことが悲しかった。

先日の江古田は盛りたくさんのメニューをこなした。
まず母の死に面して、一人自分も病室という孤独な環境で作った歌「秋の夜」「外は雨模様」「パレード」を当時を思い出しながら歌った。30年前の歌には思われない不思議さを味わう。30年という月日の長さは一瞬にして昨日のように縮まった。
「津軽鉄道各驛停車」をミックスしてマーキーに持っていった。その音源に合わせて会場でご披露となった。根津でしっかりコーラスで参加している雑魚音の会のみんなにも早く聞いてもらいたかった。五所川原小学生37名、津軽太鼓が入った完成版だ。冒頭には津軽鉄道社長の「出発進行!」が発破をかける。

安宅の関での勧進帳祭りもしっかり歌った。20日後にはローソクの灯りの元、どのようなイベントが催されるのか。弁慶、義経、富樫も天界から降りてくる支度で大わらわだろう。東京からわずか50分ほどで石川県は小松空港に着く。なんだかんだして乗り換えやごった返していたら、埼玉や千葉よりも近いかもしれない。天気のご機嫌を願うばかりだ。

マーキーご参加の全員に聞いてみた。
「ネットでブログをいつも見ていない人は拍手をしてください」
一人もいなかった。もしかしたらこの話の実態から理解できなくて途方に暮れていた方もおられたかもしれない。まぁ良いとして、昔は半数くらいの人が拍手をする時期もあった。かなりの普及率と見た。これで書きがいがあるというんもんだ。
別れ際オーナーのU氏から還暦コンサートに花を送ると言われた。うれしかった。お互い60歳を向かえるにあたって、もう少しこの国は考えないといけないということで合意した。これを機に領土問題や、過去の戦争の意味、意義などを風化させないようメッセージをしていこうと別れた。50代最後の絶唱は終わった。完全燃焼也。

僕がマーキーを定期的に続けてきた理由にU氏のものの考え方や、店の持っている雰囲気が大いに手伝っている。僕は死ぬまでフォーク魂で行こう!
次回は11月20日、きっと秋風が吹いて僕は60歳になっている。
(山木康世)