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紋別オホーツクフォークまつり音始末記

2010年09月15日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

早いもんだ。こういうのを烏兎怱怱(うとそうそう)というとのこと。世の中知らないことだらけだ。あの大風と雨の中でのDoいなか博、グランドでのコンサートは悲壮感、使命感が漂っていた。
2005年になるのだろうか?前日5月の連休、青空の中、一人になって初めて紋別、空からの訪問となった。眼下には大勢の人がグランドに整然といる。本日のコンサートが行われている模様。おそらく飛行機に気がついた人が上空を見上げたことだろう。僕はその機の中にいた。ほとんど真横状態、左窓を下に旋回して下りて行った。
翌日、コンサートを始めると、すでに小雨模様、これは大丈夫かなと少し心配した。案の定どんどん加速して最悪の状況下のグランドコンサートとなった。横を見ると、西部劇などでよく見かける乾燥した丸い草を束ねた塊がコロコロと風に勢いよく転がってゆく。雨は本降りになる。気温も下がり防寒がなければ寒いほどになった。今にもテントは風に持っていかれそう。屋根に溜まった雨水をスタッフが棒で下から突いてザァーザーと落としている始末。そんな中いつまで続ければ良いのだろうとステージの袖を見る。白いバスタオルを持って、今にも試合ストップをかけるかのようなスタッフが待機している。早くタオルを投げ入れてくれないものか。後で聞くと、スタッフ側ではこちらからの演奏中止の合図を待っていたとのこと。今となっては忘れられない体力、知力限界ギリギリの思い出深いコンサート。

そのときお会いしたM氏との因縁で今回まで紋別、年に一度の訪問となった。

4回目のフォークまつりは、1部佐々木幸男、すずき一平との還暦トリオによる2時間に渡るジョイントコンサートである。60歳を迎えた記念の歌をそれぞれ用意しようと、先般の札幌ばんけいコンサートの打ち上げで提案、二人も快諾、発表と相成った。
因みに持ち寄った歌は佐々木幸男「60になったら」すずき一平「旅の道に続く夢」小生「男が三人」個性の生きた3曲は実に記念の歌となった。
三人が生まれて60年である。その後音楽生活をそれぞれが30年以上も続けて現役である。こんな関係の人間がコンサートをしている都道府県はないだろうし聞いたことがない。幸運と言おうか奇跡に近いコンサートなのである。ひとえに三人の健康に乾杯である。互いが互いにエールを交わす、掛け値なしのエールを交わす。取りも直さず一人でも欠ければ成立しない関係なのである。こんな純な関係は長く続けなくてはいけない。他の二人のためにも。この実に単純な構図が良いのである。

この先何回開かれるか知り得ないが、願わくば永遠に続けられたらと夢のような話を思い描いている。シンガーソングライターは個人の心のうちを歌うアーティストである。であるから本来はあまり大勢に支持されなくても成立すると言う世界である。むしろマニアックな世界なのである。そんな個性を年に一回ぶつけ合う日が特別、格別、紋別、キャベツなこの日なのである。
我々三人は勿論のこと、紋別オホーツクフォークまつりの益々の盛況を祈願する次第である。

みなさんありがとう、お疲れさんでした。

千島哀歌

コバルトブルーのオホーツク 風に吹かれて一人立つ
はるか国後(クナシリ)択捉(エトロフ)よ 冬の夕暮れ千島

島の山の峰峰に 白く霞んだ雪景色
どさくさ紛れに無くした 日本固有の領土なり

幕末伊豆の下田で 勘定奉行の川路聖謨(としあきら)
ロシアの使節プチャーチンと 日露和親条約を

日本とロシアの国境を 国際的に取り決めた
100年経ち戦後いつの間にか 居座る隣人よ

このまま声を上げないで 川路の意志を何とする
果てなき大地海原と 欲張り赤い熊

尖閣諸島竹島と 祖国日本の曖昧さ
取りも直さずその姿 我ら自身の鏡なり
(山木康世)