となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

豊橋狂気部屋音始末記

2010年09月20日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

豊橋へ向かう国道1号線バイパスは一直線、走る車は一台も見当たらず何という快適、思わず声が出てしまった。右手に松原、左手に多少白波の立つ遠州灘が広がる。見上げる空には飛行機雲が一筋、後は雲一つない快晴である。浜松から50キロほどで豊橋に着く。やがて坂を上るような格好で橋が見えてきた。名高い浜名大橋である。新幹線でよく見かける上り下りの大橋を過ぎると白須賀、豊橋である。
クレージーハウスは3回目である。商店街の地下を降りて行くと、音楽の店が忽然と現れる。壁に貼られた多数の絵は当店主がアメリカはニューオリンズで買い求めているシルクスクリーンの数々である。毎年開催されるニューオリンズジャズフェスティバルで売られる限定品とのこと、黒人ミュージシャンが描かれていて店の趣をグンと良いものにする。こんな絵の趣味はなぜか心をいやしてくれる。黒人が楽しく音楽している構図は、まさしく「音楽」である。聞いている方はもちろん見ている方も幸せになるってもんだ。ナンバリングされたシルクスクリーンは1万枚限定、作者のサイン入りは500枚限定、初日はまずこの絵を手に入れることで奔走、過ぎるという。全世界から聞きに来る音楽会の伝統、そしてこのような絵を販売し、それを求めて多くの音楽大好き人間が大集合する伝統の音楽会。
ナッシュビルのカントリー音楽祭にも大勢の人が世界中から集まると聞いたことがある。アメリカはこんなお祭りを日常茶飯事の如くやってのけているのだから羨ましい。

3時というまだ日が一番強いという時刻に開演である。
1943年製マーチンダブルO、ドブロ社製リゾネーター、そして大御所の1960年代製ギブソンB-25の3本が今日のライブを支える。3本とも良い音を出してくれる。適材適所取っ替え引っ替えのステージは自分が一番楽しんでいる。ギターを弾く趣味ができて45年、だいぶ腕前も上達して頭に飛来するインスピレーションの音の姿を具現化できるようになってきた。あの頃はコードフォームを覚えるのにも精一杯だった。町中を右腕をネックに見立てて左手で押さえて覚えたもんだ。難所はFやB♭、ギター初心者のマッキンレー北壁である。ここをクリアすると一気にコードがなんたるかが開け見えてくる。山の雲がにわかにかき消えて頂上が見える瞬間である。指板に隠された同名のコードフォームがあちらこちらに見えてくる。

アンコール一曲目の「弁慶と義経」は幻の楽団と一緒にプレイした。クリック音が鳴り響き、スイング調のDsusの単調な演奏が200小節ほども繰り返される。まるで昼に見た遠州灘の寄せては返す、寄せては返す波の単調さである。しかしここにギブソンの縦横無尽が食いつく。そして腹の底から響き渡る歌声。これで単調さにアクセントが付き得も言われぬ世界が繰り広げられる。はずであったが何と「立ち往生の編」を歌うつもりが、パソコンの画面には「勧進帳の編」の歌詞が出ているではないか。時すでに遅し。遠州灘は俄然調子を増してくる。ギブソンはうなる。私は迷う。このままやって良いものか。本当は「立ち往生の編」であるのに、と心で立ち往生してしまった。しかし大丈夫、大丈夫、ドンマイである。歌詞の違いなど何の障害ではない。弁慶の義経への忠誠、忠義、忠孝に変わりはない。日本人が国家建設以来大事にしていた「忠」という心。この言葉は非常に良い言葉で襟を正してくれる。しかしこの言葉が戦争を引き起こしたというトンチンカンな学者も存在する。まぁともかくこの字から来る他者への配慮、という心持ちはなくさない方が良い国のようである。頭の良い大学を出て、良い医者になっても、良い政治家になってもこの「忠」を持っていない人が闊歩する国は良い国とは言えない。
そういえば「白い冬」の作詞者はこの名前だった。彼はこの字を意識して大きくなったのだろうか。今頃東京の空で孤軍奮闘、健闘を祈る。

9/19この日狂気部屋に集合した皆さん、お疲れさん、ありがとうでした。
今日は京よりも古い都、モノトーンの古都、心の古里、奈良へ参上いたします。果たして1000円高速はいかほど混雑しているやら、思えば遠くへ行くモンだ?

(山木康世)