奈良雲雀丘音始末記
2010年09月21日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
あー洒落もここまで来ると、ある種芸術的である。ビバリーヒルズ=雲雀丘、かなり苦しいが日本でもひばりヶ丘という地名はある。ロスの郊外、俳優たちが住んでいるというビバリーヒルズ、初めての見参である。
奈良は平城京として710年に藤原京から移り、784年平安京に移るまで栄えた。ちなみに平安京に遷都したのが784年10月22日と物の本に書かれていたことを思い出す。
その頃の時代に思いをはせて奈良の町を見渡すと、感慨深いものがある。奈良は世界に誇る東大寺、大仏、法隆寺があるだけでとても重要な町だ。まだまだ若草山、猿沢の池、五重塔、子供のころ北海道で植え付けられた奈良と言えばの関連用語が今でも浮かんでくる。
700年と言えば1500年ほど前の時代である。都が京都に移るまでの70年ほどの時代を奈良時代と称していた当時の人たちの信仰の深さ、人と人との関わりに興味を覚える。この後平安時代に移り、平安時代文学が一斉に花開くが、この素地を奈良時代が築いていたのだろう。
オープニングで「羊飼いの恋」を演奏した。このメロディーで、会場に集まった人たちの何人が色めき立っただろう。ガラリと容貌の変わった「羊飼いの恋」はこちらのメッセージは果たして届いただろうか。アレンジでガラリと変わる楽曲の持つ不思議さ。聴く人は脳に刻まれたメロディーをたぐり寄せて糸を紡ぐように完成させる。それがまずければアレンジは失敗だ。その目に見えぬキャッチボールを瞬時にしているのだから、ライブやコンサートは驚異的なのである。
何年経っても色あせないで、否むしろ鮮明にクッキリと迫ってくる歌ほど幸せな歌はない。時代の流行り物で終わってしまう短命な歌たちもいる。願わくば長命の、死んでからもなお生き残ってくれる歌を書かなくては嘘である。ますます残り少ない50代の日々を送っている僕に迫ってくるテーマである。
平安時代文学は1500年経っても我々の胸を打つ。
初めてのビバリーヒルズは大成功、大盛況のうちに終わった。近いうちにまたまた参上しそうである。今度は60歳の奈良参上。同じ歌をどのように表現しているか楽しみである。
オーナー、スタッフ、お集まりいただいたみなさんありがとうございました。
36年前のこの日デビューした。あの日を少しだけ思い出しながらこれから南下、三重県と和歌山県の県境の町、紀宝町へ歩を進める。
(山木康世)