となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

紀宝町音楽珈琲店民謡調歌曲達音始末記

2010年09月22日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

フォーク‐ソング【folk‐song】
(民謡の意) 一般にアメリカ起源の民謡調歌曲。1960~70年代に若者の間で流行。ギターの弾き語りなどにより素朴な旋律で民衆の情感、社会批判などを歌うものが多い。[広辞苑第五版]

三重県と和歌山県の県境に流れる妙なる雄大な流れ、熊野川。奈良県中部から和歌山県南東部を流れる川。大峰山に発源し、十津川となって紀伊山地を横断し、北山川を合せて熊野灘に入る。長さ183キロメートル。[広辞苑第五版]

まさにこの件にあるような大峰山を流れ出でたる神遊川(しんゆうせん。造語、神の遊ぶ川)熊野川に沿って190キロあまりを南下してきた。地図には高低差が書かれていない。平坦な道だと勝手に思い込むのは禁物だ。190キロをあなどるなかれ。実に6時間の移動となった。途中天河(てんかわ)大弁財天神社に寄り、おみくじ、お守りと寄り道した。引いた「くじ」は大吉なり。ここは芸能の神社であるとその昔に聞いたことがあり、いつかは訪れてみたいと常々思っていた。何という幸運な道沿いの寄り道に気分は上々。「だらにすけ」という丸薬はもしかしたら、この先に待っているであろう幸運の介添え役の一人かもしれない。僕は聞く。「道すがら電柱に次々と書かれた松谷某等の発売元のお名前で薬の違いはあるのですか?」主人曰く「みんな同じ」実に明快な答えをしてさっさと奥へ消えてしまった。しかし1000円の丸薬を買って、350円のおまけの太っ腹である。封を解けてご開帳の「だらにすけ」は昔、薄暗い天井裏で見つけたネズミのうんこ、そのものではあーりませんか。

ミュージックカフェ・フォークスのオーナーY・H氏とは以前東京でお会いしている。巨匠中川イサト氏とのジョイントで「店をオープンさせたらお呼びしますの是非来てください。」と熱く熱望された。と思い出したかったのだが記憶になく、その場に居合わせたロシア人から教えてもらった。watasi kiiteimasitayo。
あれから2年、店も1年半前に無事オープンとなった次第だ。オーナーは僕よりも一回り下の気の良いフォークマンだ。店に入ると何の音楽の店かすぐ分かった。壁には12弦ギター、バンジョー、ベース、マンドリンと飾られている。夜ごと繰り広げられているであろう音楽の傭兵たちがご来店ありがとうございますと語りかけてくる。本番前にいただいた「めはり寿司」は絶品だ。食べ物の味は塩加減でまずいうまいは決まる。ここの巻かれた高菜は100点満点。

続々と詰めかけるお客さんに、背筋がゾクゾク。今夜も「羊飼いの恋」で登場。
熱い視線の中、全19曲を歌いきった。アンコールではH氏のお心遣いのケーキをいただいた。36周年記念、今日がデビューの日であった。こんなおもてなしは良いモンだ。「シルバーランド」飴のプレートは壊すにもったいなく持ち帰った。今日から「ふきのとう」よりも長い「山木康世」ソロの日の始まりとなった。明日は23日秋分の日。昼と夜の時間が同じ日である。お先に失礼というところ。ありがとーみなさん。

カナダから熊野をこよなく愛して住み着いてしまったというN・W氏も同席してくれ話に花を咲かせてくれた。彼が日本人が忘れてしまった、日本の良さを満喫しているように、僕も熊野川を南下してきて、かなり利便性が悪いからこその紀宝町、新宮の良さを感じ入った一人である。山と森と川と海。それらが織りなす日本の原風景。森の奥から天狗が「元気かー、天狗にならずにがんばれよー、負けるなよー」年をとると高慢ちきになりがちだ。ジャラジャラと飾りをぶら下げ、指には派手な指輪を、人を食ったような言葉遣いで相手を見下す。フォークマンには絶対にない姿である。もしもこのような自称フォークマンを見かけたら人間ではなく天狗と思ってくだされ。しかしこの天狗は空も飛べず神通力も持っていないただのHanatareTenguと思ってくだされ。

晴れ男、まさに全開なり。熊野灘から吹き込む風と熊野の森から吹き降りる風が実に気持ちよく気を引き締め、さらなる前進を促してくれる9月22日の朝なり。
(山木康世)