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安宅関勧進帳祭音始末記

2010年09月30日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

シトシト雨がベランダのテントを叩いている。一雨ごとに風は冷たく吹いて…である。
小松は安宅の熱い夜から6日が経った。

思い起こせば、すべては去年6月金沢のライブが終わって、後片付けをしていた時から始まった。
一人のお客さんから「小浜に行く途中に安宅というところがあるので、そこに寄ってみたら良いですよ。弁慶の勧進帳の公園がありますから」。翌日、立ち寄ってみた。なるほど「勧進帳」という言葉はよく聞くが、こんな話があったっとは知らなかった。五条大橋での出会いの編、続編と行こうか。よし、ここまで来たら最後の平泉の編まで書こう。3部作終了という大作に仕上げよう。そしていつの日かここで弁慶と義経の無念を納め鎮めよう。こんな感じの構想がここで、この安宅の浜で決まったという次第だ。

暗闇の地べたに焚かれた500本のろうそくは幽玄、深奥の世界へ誘った。
ここ2,3日の雨模様はすっかりどこかへ行ってしまい頭上には星が降り、満月に限りなく近い月が煌々と照りながら日本海海上より徐々に松の木陰の間から昇ってくる。
夜空に法螺貝が鳴り響き、横笛の怪しげなメロディがギターに絡みつく。
おまけに夜を支配する無数の虫が鳴きせがむ。「無情の世に今宵おたけびを、非常の世に今宵お情けを」

「やまもとさん」で始まった2時間の心の綾を書くまいと思っていた。書くにはあまりにも紙面が足りなすぎる。短時間で始末できるほど簡単、かつ単純ではなかった心の綾。
言い尽くせないほどの生涯初めての体験が終了してしまった。あっけないほど時間は経過した。実に当たり前のように経過した。

祭りの後の後片付け、弁慶立像の足下で一匹の蟋蟀が盛んに鳴きやがる。別れを惜しむかのように泣きやがる。近寄って目を懲らして探せど姿は見えず。あれは弁慶の生まれ変わり、魂に違いなし。「なぜなぜ鳴くの、ずっとここで鳴いていたね。今夜はありがとう、じゃ、またな早くお帰り」と声をかけてその場を立ち去ろうとしたら嘘のように鳴き止んだ。鳴いていたのか泣いていたのか。
僕はあの夜、弁慶に1000年の時を隔てて会ったと確信している。「やまもとさん」などという戯言の苦虫はジッとかみつぶし、蟋蟀の慟哭をこの胸はしっかりと死ぬまで忘れはしない。

後ほど、我が会報72号にて詳細、感想を述べる次第である。
(山木康世)