となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

郡山民謡歌曲酒場6575

2010年10月11日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

山形河川敷での芋煮会を終えて、一路山形道、東北道を南下、郡山を目指した。日曜日の1000円と言うことも手伝って、高速道は東名高速並みの混雑ぶりである。こんな東北道にお目にかかったことはない。遠くに気高き蔵王が望める。
初めての芋煮会参加、想像していたよりも遙かに規模が大きく、料理の多彩さに目を見張った。芋煮の鍋を囲んで質素な会は長年抱いていた妄想に過ぎなかった。海の幸、山の幸をふんだんにごちそうになり最後は、その場でついて納豆で絡めた餅で締めとした。今夜のライブが待っているので、お先に失礼したという次第だ。川にかかった長い大橋を渡り、河川敷を見下ろすと立ち上る煙は見えど、さっきまでの賑やかさは聞こえてこなくなり、少し後ろ髪を引かれる思いだった。

フォーク酒場6575はギター、ドラムス、ベース、アンプなどがきれいに店の隅に片付けられていて、普段からの行き届いた運営の整頓さが伺えて何よりだった。各地いろんな会場に出入りするので、最初にお店に足を踏み入れた時の勘は、普通の人よりも数倍敏感であろう。これでやる気がずいぶんと変わってくる。今日は○だ。
50代最後のライブ、残すところ2本である。

ホテルで午後8時近くまで待機していた。70年代往年のアイドル達の今をテレビで見た。ふきのとうも74年デビューであるがために、当時のブラウン管を賑わせていたアイドル達の今は非常に興味があった。しかし見ていて、ある種悲哀を感じてしまった。みんな50代に入っている。が歌う歌は三十数年前のヒット曲。おもしろおかしいが、全然こちらに届いてこない。レコード会社も事務所もやりっぱなし、稼いだらポイと使い捨て。それに耐えて、お茶の間へ顔を出す根性に脱帽した。偉いモンだ。デジタル画面ゆえ、シワの一つ一つ、シミの一つ一つが鮮明である。病気を抱え、克服したアイドルも大勢いる。
どうして彼ら、彼女たちは年齢の重み、深みを感じさせてくれないのだろう。顔や頭はかなりくたびれているが、着る服だけは当時と同じだ。このギャップが悲哀さを感じさせるのか。どうも歌舞伎町の末路が見え隠れしていただけなかった。歌には魂が有るはずである。有るべきである。カラオケで歌って、やんやの喝采を浴びるだけの華やかな、見栄えの良い歌だけが歌ではない。もっともっと心の奥底から響いてくる歌が有るはずだ。それを歌えるようになるには年輪が必要だ。年輪のない中身の空っぽな木は、生きているように見えるが、枯れ木である。

開演時間が迫ってきた。ホテルの電気を消して会場へ向かった。
彼らの映像、音像の余韻が頭を巡っている。良い感じで彼らは僕を後押ししてくれた。背中をポンとたたいてくれた。
「僕らは心の歌を歌いたいが、誰も作ってくれない。しかし僕らにはヒット曲がある。それだけで十分なのです。作って歌える人に是非、心の歌を歌ってお客さんを魅了してください」
生涯で3本の指に入るライブだった。残すところ仙台サテンドール、今夜は誰が何が背中をポンと押してくれるか楽しみである。ちなみに今日も晴れである。
 6575の由来は1965年から75年までのフォーク全盛を象徴しているとオーナーは語ってくれた。何気ないところに経営者の精神を見せている。ちなみにお名前は粋成(いきなり)さんとおっしゃった。本名ではないだろう。まさに粋成りである。
 
(山木康世)