となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

仙台繻子人形音始末記

2010年10月14日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

なんと知る人ぞ知るエイモス・ギャレットとジェフ・マルダーが三日前に来店、演奏をしていったという。東京からの大渋滞で8時間かけて開演時間寸前に到着、音合わせはお店のスタッフ連が確認しておいて、彼らは着くやいなやライブを始めたそうである。その日の僕の山形行きの東北道はまずまずの流れで5時間半で着いていた。高速道は一つ事故が起きて時間がわずかずれただけで、結果が大幅に変わることが多々ある。そんなとき幸運と不運の分かれ目を感じたりする。
エイモス・ギャレットとジェフ・マルダーは、11日は釧路湿原のペンションでのライブだという。あの肩の張らないジャンルにとらわれない彼らの姿に魅了されてよく聴いた30代のころを思い出す。その頃のジェフの奥さんはマリア・マルダーであった。彼らは68歳になっているという。

50代最後のライブを仙台「サテンドール」で開くことができて幸運であった。どこぞの訳の分からないスタッフや、オーナーが一夜の音楽界を開くのではない。そこには脈々と流れる経営者の音楽魂が川の如くたゆまなく流れてなくてはならない。
多くは語らなくて良い、愛想だってそこそこでいい。何も音楽人が愛想良く、お客さんの良いなりになるなんて話も聞いたことがない。世間並みの態度で良いわけだ。それよりもたちの悪いのは、いかにもいい人面して、臆面もなく今夜の主役の名前を間違えて、チケットまで販売、その上顔を合わせても何も釈明もないという御仁。そんなお方とは二度と会を開くことはないだろう。50代最後の人間を捕まえて「それはないでしょう」というところである。

アメリカのカントリーハウスにフラリと立ち寄った感じの、年季の入ったサテンドールはカントリーフォーク、まさにそのものの姿である。飾らず、素朴で訥々(とつとつ)と語りかけてくる秋の夜長の夕べにもってこいの宴(うたげ)会場である。宴会場(えんかいじょう)ではない。

僕はこの夜UFOの大編隊を目撃するのであるが、その件はまたの機会に書こう。3回ほど定期的にシグナルでも送るかのように点滅してくる光に、何とも言えぬ神秘さと高貴さを感じてしまった。
50代最後のみちのくの旅人を癒し、かつもうじき迎える60歳からの指針を暗示、祝してくれているようなシグナルだった。ガッチリ受け取った也。あのようにはっきりと頭上で停止して信号を送ってくれると、夜空の星の瞬きとは違った現実をいたく感じて、神の存在を改めて意識してしまった。

僕らは誰かに見られて暮らしている。悪事は遠からず裁かれる運命にある。「好事門を出でず」という言葉がある。良い行いや評判は、とかく世間につたわりにくく、逆に悪事は千里を行くが如くたちまちお茶の間に広く伝わる。汝、惑わされる事なかれ。

この夜、集まってくださった皆々様の将来に幸運が訪れることを願ってやみません。
(山木康世)