お池にプカプカと楽章の袋が浮かんでいる
2024年04月23日 | カテゴリー: 山木康世
昨日よりも7度も低い気温である。
池袋は上京した頃なにかと訪れた街である。ミスター長嶋の立教大学があり駅前には丸井が建っていた。ここの丸井で足りない家具や寝具の日常品を取り揃えたもんだ。しかし札幌の丸井とは全く別の会社である。なぜか札幌の丸井は丸井さんと、さんをつけて親しまれていた。
ムーブメントスタジオは新井薬師のかざあなと同系列の姉妹店である。ちょっとした芝居小屋で使い勝手の良い会場である。正面の壁に大旗を吊るした。この旗は予想以上の効果がある。夕刻の2時間この旗のお陰で山木ワールドをさらに加速させてくれる。無味乾燥な小屋になにも言わず意思を吹き込んでくれて今日のステージに華を添えてくれる。本当に良い華を73歳の当日、新宿で見つけたものである。
宇宙船のアダムとイヴは未だ落ち着きのない地球に眉をひそめ途方に暮れているが死者であふれた青い水の惑星では意味がない。それほどにまで憎しみ合って殺し合う理由がわからない。そのための宗教など聞いたことがない。救いを求める人のために有るのが宗教のはずだ。砲弾を作り出すための製鉄会社など認めない。普通の世界では犯罪であるのに戦争の名のもとに大勢の人が殺し合いをする。こんなことが許されるはずがない。
春を待っていたはずの桜の樹の下にペットボトルの空き瓶が。子供の頃にはなかった風景の一コマである。決して時間が経って土には戻らないペットボトル、おーいお茶である。風が吹いて、コロコロと僕の足元に転がってきた。
お忙しい中、皆様まことにありがとうございました。
126号瓦版花鰹会報の発送が待ってます。そして久方の西日本へ旅します。世間はゴールデンウイーク、如何様な賑いや混雑や渋滞が待っているのでしょうか?
墨田区両国亭のこったのこった
2024年04月23日 | カテゴリー: 山木康世
ナヌー?
案の定幕は開いておりました。あれほど音を出してから幕を引いてくれと頼んでおいたのに、意思が十分伝わっていなかった。まぁ良いか、幕は2度引かれることもある。幕が開いたからといって二度と戻ることややり直すことが出来ないわけじゃない。それよりも気を取り直してレッツゴー。
今日の目玉はキラキラライトなのだがお客様の目を刺激しないよう横向きにセットする。そして恋人のように寄り添って春の雨、濡れていこう春雨じゃー。
思わず勢い余って前のめり。勝ったと思ったら、先に足が出ていて負け、勇み足ということもある。良いことを教えてくれる相撲の組みて。
普段は寄席が行われている両国亭、弾き語りはおそらくいないだろうと自負している。
高座(こうざ)とは 説教や演説などをする人のために一段高く設けた席。特に寄席で、芸を演ずる場所をさす。 とある。
日常の中で何か言いたくて弾き語りをしている。説教や演説ほど大上段に構えずにメロディという衣を着せて内なる言葉を油で揚げる唐揚げのようなものである。カリッと噛んだら旨味が口中に広がる。そしてそこに美しさを見出す。やはり音楽であるので美しさが必要であるな。
だいぶ高座に上がる構えが備わってきた。2時間休まず演じて腰を上げて高座から降りるときには気をつけなければならない。油断すると転げ落ちる危険が潜んでいる。てなわけで、アンコール終わるまで幕は引かれず本日は高座にいたまま終わらせていただきました。
お集まりの皆様、一段高いところから失礼いたしました。
明日は池袋ムーブメントスタジオでお会いしましょう。
千葉県東金八鶴館自習室
2024年04月14日 | カテゴリー: 山木康世
東金はなぜか脳みその片隅に刻まれていた。それがいつ刻まれたのか定かではないが刻まれていた。
そこで今回訪れるということでネットで自習勉強した。
先ず東金は周囲の山の形が鴇トキに似ていることから鴇が根(ときがね)と呼ばれていて、それがいつしかトウガネとなまったようだ。それよりもトキの漢字が「鴇」であるということを学んだ。
徳川家康は東金に「東金御殿」を造っていて鷹狩に使っていた。今でいえばゴルフに使う御殿とでも言えばいいのか。その際に眺めの良い池を改造した。
そして土井某大名に命じて沼のような水辺を湖に改造、当時は八鶴池(やつるいけ)と呼ばれていた。土井某とは土井利勝という人物である。この人は家康の落胤(らくいん)という話もあると学んだ。家康には多くの落とし種がいた。家康さんやるねぇ。流石天下人、絶滅危惧種に近かったトキとは大違い大いに繁殖を遂げる。やがて各地にトキを配置させて勢力を広げ維持する。勢力=精力。
今の裏金問題など火曜日のごみの日にポイ捨ての東金か。なんと屁のようなゴミであるか。時間がもったいない。あまりにも身動きが取れないほどガンジガラメに縛られて良い人ぶらなきゃ生きられない現代人の悲劇か。基本世の中、男と女であると思っているが、これを声高に叫べない、哀れ絶滅危惧種トキ。
コンクリートジャングル東京では味わえないのどかな自然に囲まれた地に少しいれば本来の人間力を回復できると、母なる太陽のサンサンと降り注ぐ光を全身に浴びてニッコリ、誠に良き二日の旅だった。
今日のポイントは「初夏」だった。弾き語り、の良さを獲得した。詩の持っている隠された底力を発見、自覚できた。八鶴館(はっかくかん)で学生時代の自分が発覚したような50年という長い時間の中での一コマであった。
みなさん誠にありがとうございました。午前3時半のお便りでした。
千葉県柏studioWuuにトビウオは飛んだ
2024年04月13日 | カテゴリー: 山木康世
遠い遠いある日のこと。
中野の一軒の居酒屋で飲んでいたところ「オグラですがご無沙汰しております。今度ぜひ柏のライブハウスに出てほしくて電話しました」
声の主は僕がふきのとうを止めてソロ活動を始めたとき、吉祥寺のライブハウスで店長をしていて、その後現在の南青山マンダラの店長をしていたオグラ氏だ。僕は即決、懐かしく世話になった氏との思い出を回想していた。断るわけがない。氏に会うだけでも出向く価値のある電話であった。
あの日から何年経つのだろう。時代は変わったがWuuは何も変わっていない。いつ伺っても変わっていない。何人の、何組のミュージシャンがここを訪れたのだろう。
僕はその後年に2回ほどのペースで常磐道を走ってきている。
今夜は弁天様の大旗を用意しての配信。
しょっぱなに思いを込めて「思えば遠くへ来たもんだ」それからオグラ氏と出会った頃のふきのとう時代の歌を数曲そろえた。氏との出会いがなければ今の自分は居ないかもしれない。
いつの間にか32年、ふきのとうを含めると50年という時間を好き勝手に生きてきた。
共にいて居心地の良い人、良い場所は大いなる栄養となって自らの血肉骨を確固としたものにする。吹けば飛ぶようなギター人生であるが、トビウオは深夜も波間をビュンビュン飛んで声を上げさせる。「あっトビウオだ!塩の利いた干物は絶品なんだぜ!焼いて食うべし!」
栃木県栃木市/カフェ&ライブミュージック 増茂米店(ましもこめてん)弁天様
2024年04月08日 | カテゴリー: 山木康世
2023年10月22日以来何かと各地のliveスペースでお世話になっているタペストリーがある。可成りの大きさがあるので張る場所を選ぶが、各地なるべく張るようにしている。
このタペストリーに大きな灰色の石の弁天様が映っている。弁天様は七福神の一人で琵琶を片手に音楽の女神として在る。
この写真を見て直観が働き、これは将来において僕を良い方向へ導いてくれる力が在ると直感した。脳内で何かがショートしたような感じである。これを極力持って行って会場に張り巡らそう。後ろから微笑んで静かに見守ってくれている。
その弁天様はどこで撮ったものだろうとずっと思い出していたのだが、撮った情景は思い出せるのだが、果たして何処だったのか。この懸案が栃木県佐野に思い至り霧が晴れるように目の前が明るくクッキリと鮮明になった。
出流原(いずるはら)弁天池におけるショットであった。
この話を冒頭で話して会場に合点が沸いて心が落ち着いて、弁天様との確信の元、感謝の気持ちで始まった増茂米店。もともとお米屋さんが今では音楽の場。隣との境界の石壁に書かれた五線譜に未だ見しらぬ店主と握手をしていた。
ただ空きスペースがあれば音楽ができて始まるわけではない。目に見えぬ良い音楽の持っている癒しの力が充満して心を満たす。この力は実に大事で絵に描いて説明できないものである。
僕は半年前から、力を貸してくれる琵琶演奏者とともに以前とはちっがう心の環境の元、音楽の旅を続けている。
前橋音処きしんは群馬のプラットホーム
2024年04月06日 | カテゴリー: 山木康世
・私は北海道出身で10歳の頃、兄に連れられて行った大学のお祭りで「プラットホーム」という歌を聞きました。その歌に魅せられて、以来ファンです。その後ギター教室に通って、F先生の元「ふきのとうの歌」を知りました。
・友は酸素マスクを付けて虫の息でした。俺がギターを持って駆けつけても目を閉じたまま反応しなかった。耳元で「俺だよ、起きてくれよ」とささやいても反応なし。生前好きだった「プラットホーム」を歌って聞かせたら少し目を動かしたようだった。
そんなこんなで忘れていた「プラットホーム」の話題が終演後奇しくも出てちょっとびっくり。アマチュアの頃十八番だった「プラットホーム」は、まさに当時の「ふきのとう」のイメージだったかもしれない。
僕の歌作りのモットーの一つに「シンプルイズベスト」がある。ものごと単純なゆえに複雑が可能で多様性を秘めている。複雑なものを単純にするのはなかなか至難の技である。人生においても活かされていて、このモットーはいつも隣にあって網の目のような、蜘蛛の巣のような複雑怪奇な人生劇場を渡り歩くことがそれほど困難ではなかったようでここまで来れたような感じがする。
配信ありの73歳50年ギター弾き語りオール自家製山木ワールド、いかがだったでしょうか。ご清聴誠にありがとうございました。
今日は栃木の方へ少し北上いたします。桜前線に似た旅のようでもあります。
御礼大石吾朗様
2024年04月01日 | カテゴリー: 山木康世
本日のラジオ番組に当たり、何かと小生の一日に時間を割いてくださり感謝の念に耐えません。
思い起こせばコッキーポップ関連でお会いしているくらいで、おそらくふきのとうの片割れくらいの認識で平素はおられたと思います。小生もラジオのスタジオに行き着くまで、最後にお会いしたのは、あの台風もどきの風と雨の洞爺湖の野外ステージ以来、覚えていてくださるだろうかと少々不安でした。あの日は三の木トリオで小生は出演、慌ただしい絡みで終わっていたような思い出、果たして大石様の脳みそに刻まれておられるだろうか。
豈図らんや冒頭の挨拶がこのときの双方の思い出話で、いきなりエンジン全開、最後まで現在過去未来と小生を実り多き会話で進めて夢中にさせてくださりまっ事幸福な月曜の昼下がりでございました。
この日はSONYからのライブ盤復刻のニュース、ソロ二枚、最新作「黄昏のビール」まで幅広く導きいただき、さすが長く音楽、役者をなさっておられる底力を垣間見た所存で、小生までつられていつになく軽妙な自分がいることに気がつく次第でした。
LiveLibraryで時間を忘れて人生を謳歌している中、このようなラジオ番組に出て、さらなる前進、色々と瑞々しいお言葉全身に染み渡り山木ワールドに拍車をかけることができました。
どうぞご自愛ください。アシスタントの峠様、ラジオの大沢様貴重な時間と心の潤いをありがとうございました。
新宿通りに思い出通り雨のような雨滴がフロントガラスに落ちましたが、やがて西の空に青空が、切られ与三郎状態のビスタは軽快に新宿から中野へひとっ走り、一日健やかに小生を心身ともに生かせてくださいました。
新宿区曙橋コタンの夜は更けてゆく
2024年03月30日 | カテゴリー: 山木康世
中牟田と聞けば海援隊の不動のギター、作曲者としての音楽人である。
その昔学生の頃音楽雑誌などで見かけて知っていた中牟田氏に間違いはなかった。しかし今日の中牟田氏はその息子さんである。御年38歳、只今曙橋で人生を切り盛りしている中牟田氏。
コタンと言えば四谷に在って、フォークの老舗であった。時代に動じないコタンの店に今日はお邪魔する。8年前に曙橋で再起動、マスターは親譲りのマーチンと共に懸命である。老舗ではあるが音は妥協していない姿に共感を覚える。デジタル時代において音響は大いに飛躍的な変化を遂げている。変な偏見を捨てて認めるべきは認めて楽しまなくてはならない。
今夜は知り合いの中牟田氏が来るかもしれないと聞いていたので「蝉」を用意はしていた。しかし確信が持てなかったので僕一人の場として2時間を超える音楽に興じた。
終わって後始末をしていたカウンターの方で手を振ってやはり彼は居た。ずっと変わらない彼の姿に共感を覚える。ずいぶん久しぶりである。ここからすぐ近くのバックインタウンで共演した夜を思い出す。
海援隊の打ち上げの席から思い出したように電話を何度かくれて互いの状況を話し合った若き日の夜。
今年の夏に何か一緒にやろうと決意のもと再会を約束して別れた。しかし昭和の青年たちの決意である。意外と時間はあっという間に過ぎていった、という結果になるのはザラである。ただ一つ、健康で元気で会おうという決意の元にどう見ても間違いのなくなって久しい高齢者のお別れの夜にカンパーイである。
みなさんお集まりいただいた方たちに御礼と今後の元気さを願って長い一日の終わりとします。ありがとうございました!
新宿区曙橋コタン前哨戦Z世代との対峙
2024年03月30日 | カテゴリー: 山木康世
久しぶりの地下鉄曙橋駅。今日は新旧織り交ぜての長い一日になりそうだ。
昼下がり中野の駐車場を出るころ、空は雨を降るのをやめて南の空に青空を見せ始めた。この分だとこの先は晴れだなと持ってきた傘を車において、GibsonB25、ハモニカ、カポを持って普段と少し違って身軽に出かけた。もちろんノートpcは忘れていない。
先ず大学生Tくんと喫茶店で落ち合う予定である、彼の論文取材のためのインタビューを受ける。「山木康世とフォークの時代」がテーマなので孫のようなZ世代と言われる人との会話に胸が弾む。予想以上に僕の作ってきた歌に詳しく、かつ彼なりの考察に舌を巻いた。ずっと昔の自分のその頃とは雲泥の差があるZ世代の現代に生きる力を感じながらの会話の交流は本当に面白いものがあるなと一生懸命応えた。 Tくんは新譜ジャーナルまでバッグに忍ばせていた。まだ彼が生まれる前の昭和の僕の青春時代の詰まっている雑誌である。その時代を僕や僕の作ってきた歌から探ろうとしている令和の青年は何をか思わんである。
今一番会いたい人が何せ山木康世だったので少々面映ゆかった曙橋のコタンへ向かう足取りは妙に軽かった。
春日井水辺のカフェカレドニアは春爛漫
2024年03月28日 | カテゴリー: 山木康世
あの店の紅茶、飲んだことあるかい?
どこの何というお店?
名古屋から30分ほどのカスガイという街のカフェカレドニアっていうアイリッシュ音楽大好き人間のマスターのお店だよ
なんでも山木さんは10年ほど前、名古屋でのライブの帰り際に、とある男性から春日井という街でカフェカレドニアという店をやってます。一度liveに来てください。と言われたそうだ。
マスターはその昔CBS SONY名古屋支店に居たという話でその後、山木さんは絆を感じて。あれから10回以上もliveで訪れたそうだよ。そして昨夜はサリーさんという二胡弾きの女性をゲストに春爛漫水辺のカフェに歌い咲くというliveをしたそうだよ。そしてサリーさんはなんと「白い冬」「松太郎さん樺太へ」「風に吹かれてMinstrel」ではボーカルをとったそうだよ。本来なら山木liveなので本人が歌わないとだめそうだけど、山木さんはふきのとう時代のように変幻自在にハモリをしたかったそうだよ。山木さんのハモは天下一品だからね。実によくコラボされてたそうだよ。
満員の会場は老若男女で盛り上がったそうで、久しぶりのお客さんも大勢楽しんだそうだよ。用意したグッズも大いに売れたそうで何よりだったね。
終演後表に出ると夜空の中天に円いお月さんがコンバンワ。
ほんと4日ぶりのご挨拶。ずっと梅雨のような長雨。明日は待ちに待った晴れだ。
イッテラッシャーイとマスターとサリーさんは手を振って言ったとか言わなかったとか。