沖縄県石垣市JAZZ BAR すけあくろ ここは沖縄琉球王国
2025年11月04日 | カテゴリー: 山木康世
とうとうここまで来たな、という感じの石垣市、地図を改めてみるとすぐ目の前、海の向こうは台湾である。ちょうど故郷北海道の根室と千島列島の距離という感じであろうか。それもこれもみんなふきのとうの「風来坊」のおかげ。あの歌がなければこれほど人生で何度も訪れることができなかった沖縄、琉球王国。そして石垣島、あの夜、南麻布のマンションの一室でこの歌が生まれなかったらこの石垣島までつながっていないのだ。もちろんふきのとうがなければここまで行きつかない。あの夜石垣の「養老の滝」で近藤マネージャーと飲んで、港へ行ってほろ酔い機嫌で海のかなた水平線に見た南十字星はホント輝き光っていた。今は近藤もあの星のどこかにいるかもしれない。那覇の日の夜には山口にも会って近藤の話にも及んだよ。穏やかで良い人だったと振り返っていたよ。僕らは同じ歳で馬が合った。年に一度の皆での短い再会を惜しむかのように朝までよく飲んだな。
昔誰かが言っていた。ストーンズはベイビーだけでステージができるが、ディランはできないと。僕が高校生の頃、洋楽でも何を言ってるのかが問題だった。GSになびかなかったのはやはり歌詞にあったのかもしれない。今でも自分で作るようになっても詩の根本は変わっていない。今日のライブは「風に吹かれてMinstrel」から始めて、アンコールは「風来坊」「憂鬱で厄介な笑顔のサンタクロース」で終えた。
沖縄4日ツアーが終わった。日本であるが異国情緒満載の沖縄。
♪青い空が広がる ここは南の島 海はサンゴの緑色 ここは沖縄 レイレイホー♪
永遠であれ沖縄琉球王国!
みなさんありがとうございました。しばしの別れです。どうぞお元気でー

沖縄ツアー最後は石垣島で

会場は10年ぶりに訪れた「すけあくろ」

FM沖縄の野底美智代さんと
沖縄県沖縄市Crossover Café 614 またお会いしましょう!
2025年11月02日 | カテゴリー: 山木康世
沖縄も本島最後のライブ。その昔はコザ市、そしてふきのとうデビューの1974年沖縄市が誕生。沖縄市民会館ができた年に栄えあるコンサートを開催している。初めて高速道路というものを沖縄県で乗ったような覚えがある。会館はお墓の上に建てられたおいう話を聞いた。沖縄のお墓といえば人が住めるほど立派な門構えで山や崖の裾にあって初めて見たときにあれは何だとき驚愕した。アメリカが上陸して人々が逃げ回ってお墓に逃れた人も大勢いるんだろうな思ったものだ。
今日は沖縄としては珍しいくらい湿度がなく過ごしやすいホテルを出ると少し肌寒いほどの気温である。小春日和という形容がピッタリの石垣島離陸の日である。前日の沖縄市Crossover Café 614は懐かしいデイゴホテルの直ぐそばにあった。角の赤いポストも健在、長い年月を持ちこたえて突っ立っていた。デイゴホテルに連泊した日を思い出す。
普段はロックが基本なのか、音響も照明も行き届いており本島最後のライブにふさわしい会場だ。マスターは若いころ本州で音楽関係の事務所におり北から南へと旅したそうだ。iPadを使って音の調節も念入りに行う。大勢の「ふきのとう」以来のお客さんで埋め尽くされ、幸福な2時間越えと相成った。
沖縄のお客さんは想像と違って大人しい人が多い。でも歌好きの人、酒が入れば踊りに興じる人も出てくる。昨日の反応も少し大人しめでいささか緊張した。
また沖縄、来たいと思いますが何時になるやら。どうぞお元気で体に気を付けてまたお会いしましょう。お忙しい中、みなさんありがとうございました。

沖縄市は沖縄県中部にあります。

石畳の雰囲気ある通りに会場はあります。

アメリカと日本が交錯する街OKINAWA
那覇市桜坂劇場ホールB未だ色あせぬ僕の中のOKINAWA
2025年11月01日 | カテゴリー: 山木康世
天気予報は大外れ、過ごしやすい沖縄。いつも見慣れているスコールは突然やってきて去ってゆく。雲が勢いよく空を流れ音を立てているかのように移動する。来るなーと思っていたらフロントガラスにポツポツ、やがてザーッとやってくる思い出通り雨。
早沖縄にやってきて50年は経つ。72年に本土復帰、時の佐藤首相はノーベル平和賞をいただいた。そしてめでたく5年後、白い冬をひっさげて沖縄へ。まだこの年には右側通行、翌年日本の交通ルールに従う。年末に行ったので信号にカバーがかけられて来年から左側。慌ただしい沖縄だった。
そして沖縄が決定的になったのは「風来坊」だった。年忘れ野外ライブで大うけだった。雨の中大勢のお客さんは気にもかけず手拍子、指笛、離れ故郷は寒い雪の中での年忘れ。この信じられない光景にただ驚くだけ。思い出すなぁ20代の沖縄の印象は、水泳を除き本当にエポック的に脳裏に刻まれていて、今でも色あせないで鮮明に残っている。
国際通りも変わった。米軍の放出品ももうどこにも見かけない。ベトナム戦争が色濃く残っている沖縄だった。
そのころ「風来坊」がどんな感じで沖縄に流れていて、どんな人たちが夢中になってくれたのだろう。歳がいけばいくほど尽きない興味である。あのころギターで歌ってくれた中学生も中年の域か。彼ら彼女らフォークソング好きのうちなんちゅーに乾杯だ。ますますの健康・発展を願う。
昨日の桜坂劇場にお集まりの皆さんへYAMAKINGSONGSの素をお届けできたと思っている。ギター弾き語りの醍醐味、味わいを今後もますます深めて参ります。どうぞご期待ください。お忙しい中まことにありがとうございました。

年に一度の桜坂劇場で山木劇場を展開

お供の虎も静かに聴き入っています

那覇フライデーナイト、場内は大盛況!

旧友の山口さんとハロウィンのイルミネーションに彩られる

本日は沖縄市でお待ちしています
