となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

新宿「あんさんぶるstudio音」人のお名前は粘ってでも思い出すようにしよう

2026年02月07日 | カテゴリー: 山木康世 

なんてのどかな日なんだまさに「となりの電話」。風も穏やか、日差しも春めいて、さすが立春を迎えての東京、まさに春間近という感じである。
北国では「さっぽろ雪祭り」世界では「ミラノオリンピック」が開催されている。
札幌でオリンピックが開催されたのは1972年の冬、僕は22歳の学生だった。学生と言うよりも音楽の道を志て上京の準備段階と言うところか。街がドンドン変わってゆく姿は頼もしくもあり、一抹の寂しさもあった。地下鉄が走って、駅前道路が丸井さんから三越へと変更、拡張整備されていって、子供のころからなじんでいた札幌の顔が変わってゆき、僕の顔立ちも少しずつ大人びて行くような変わり具合にも似ていた。
2年後に「白い冬」でデビューするのだが何の計画性もなく、今まで書きためていたYAMAKINGSONGSを2枚ほどアルバムを制作できれば良いかな、くらいのうっすらとした希望をぶら下げての上京だったような気がする。
東京都のもと水瓶、淀橋浄水場は1965年に廃止された。その跡地に副都心と呼ばれる超高層ビル群を主とする街並みが1970年代に形成されていった。想像を絶する広大な浄水場だったのだろう。何せ都民の命を賄っていた水飲み場。そして1996年には都庁が建設された。
地下のあんさんぶる音の会場より階段をトントン上って地上に出て遙か1キロほどだろうか、仰ぎ見れば雲一つない青空に未来への希望のようなビル群が見える。しかし目の前に何やら建物が建つようで、そのうちここからこの景観は見られなくなるのだろう。
本日はあの世から上田某と坂本某が遊びに来られたご様子。
「花紅柳緑」を札幌の歌として何とかしようとした年があったなぁ。今から10年ほど前のこと。そのころの札幌市長は上田文雄氏であった。市長室へ訪問した日の光景を昨日の事のように思い出す。市長は「ブラボーサッポロ」を好いてくれて、一人でビールジョッキーを片手にホテルや居酒屋で歌って下さったようだ。その後札幌は歌の街を掲げて、矛先を坂本龍一氏に充てた。上田さんは「ふきのとうホール」の楽屋に遊びに来られて、それが最後のお姿、25年にお亡くなりになられた。笑いながら「明日から入院しますよ」とおっしゃられていたなぁ。
しかし坂本某の下のお名前が直ぐに浮かんでこなくて失礼をした
。坂本九とつい先走って失笑を買った。戦メリ、その後高知の偉人坂本竜馬をたどって龍一へとたどり着いた。悲しいかな顔は浮かんでいるのに名前が直ぐに浮かんでこない。高齢者特有の物忘れとはホンとの話。すぐにスマホグーグルに頼らずに、笑われてでも最後まで粘って思い出すよう努力をしよう。

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