となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

きるなのねかねのなるき(切るなの根金のなる木) その2

2010年03月19日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

1年前から下に住み始めたお祖母ちゃんは会ったときから初対面という感じがしなかった。顔立ちといい、背格好といいどこかで以前会っていると感じた。デジャ・ブー。あるとき話をする機会があった。なんと40年以上も前に亡くなったお祖母ちゃんの生まれ変わりだった。80歳と40年は差し引きあわないと思う人がいるかもしれないが、このお祖母ちゃんが40歳のとき交通事故で三途の川を渡る寸前に引き返してきた。そのとき亡くなった俺のお祖母ちゃんの魂が入り込んだのだ。それ以来このお祖母ちゃんは俺のお祖母ちゃんとして生きているのだが、もちろん本人は理解していない。しかし、その日から人格が変わったという。去年沖縄のユタに見てもらう機会があった。そのユタの説明によると信じられないがお祖母ちゃんの生まれ変わりだった。

お祖母ちゃんは兄の中学修学旅行に明治政府発行のお札を大事そうに餞別としてよこした。古き時代の武将が馬にまたがったとても感じの良いレトロなお札だった。が如何せん現代では馬にも乗れないお札をお祖母ちゃんは旅行の足しに、とくれたのだ。中学生だった兄の心境や如何に。優しい兄はお祖母ちゃんへ孫の手をお土産に買ってきた。孫の手から孫の手を渡されてお祖母ちゃんはうれしそうだった。(餞別のお返しなどしなくても良いのに、なんて心の優しい孫なんだろうね)お祖母ちゃんは着物の隙間から器用に孫の手を差し入れて背中をゴシゴシ。
いつも髪をきちんと束ねて、薄化粧をして紅をうっすらと引いて歳をとっても身だしなみはキチンとしていたお祖母ちゃんは寒い朝95歳で老衰で他界した。

そのお祖母ちゃんの生まれ変わりがこれから会うお祖母ちゃんだとは誰も信じないだろう。そう言う俺も30代が中心のIT業界の中では異例中の異例、今年還暦だ。でも精神年齢は時には12歳、時には20歳、時には36歳、時には100歳だ。
お祖母ちゃんは言う。余裕があれば金は使うに限る。いつ何時事故、病気などでこの世にいないかもしれない。それならいっそう寄付なども良い。
一夜にして成金になった俺は、昔あれほど憧れていた金の魅力が薄れてきて、近頃単なる数字にしか見えない。死んで残した遺産で家族や子供が不仲になり裁判沙汰。金が猛威をふるう瞬間だ。こんな話は古今東西山ほど聞く。聞くにつけ自分も含め人間は愚かだなと思ったりする。時の政府も金でつまづいた。あれがなければもっともっとスムーズに世の中はシフトできたのかもしれないと考えたら、金は何のためにあるのか疑問さえわいてくる。しかし金には何の罪もない。金をいかに管理するか、金に振り回されない態度の大事さが見えてくる。
お祖母ちゃんとしばしの歓談、別れて部屋に戻ってパソコン画面の金額を数える。一十百千万十万百万一千万‥‥
リーン!突然の目覚ましで俺は目を覚ました。
<以下、明日に続く・・・・>

(山木康世)