となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

4月2日付「沖縄タイムス」

2010年04月03日 | カテゴリー: ニュース

4月2日付「沖縄タイムス」
P.22:芸能面にインタビュー記事が掲載されました。
沖縄との出会いや、お祝いライブへ向けての豊富などを語っております。

津久見初見参後始末記

2010年04月03日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

小倉、行橋、中津、別府、大分、臼杵そして津久見を目指す。佐賀関より海を越え20キロで佐田岬、八幡浜とある。ここらへんで採れるサバ、アジは味も値段も絶品と聞く。
時は4月2日正やんの故郷、津久見の町がトンネルの向こうに広がる。山桜が山々に岩のような感じで点々と広がっている。一幅の日本画である。豊後水道の向こうは四国宇和島。

元来無類の地図好きで小学生からの生え抜き、現在に至っている。
カーナビはイライラ、モヤモヤを実に明快に払いのけてくれる。いつだったか、某著名評論家がカーナビを否定的に捕らえていた。こんなモンいらない、というやつである。旅の情緒や探求心を奪ってしまうと書いてあった。でもねぇ、それは立場が違う人に取ってはそんなこと言ってられない場合もあるんだなぁ。

JR津久見駅は迷うことなく最短時間で到着した。
「リバイブ」のオーナー岩尾さんは理容師。同い年である。2月生まれと言うことで学年は1年先輩である。階段を登り詰めたるところに花が置いてある。「還暦おめでとうございます」何という配慮の行き届いたお店であるか。しかしこの花はオーナー還暦祝いの花だと判明。そうだよな、そんな事現代では考えない方が懸命、懸命。

ライブは満員の御礼、よく初見参の小生に興味をいだいたたくさんの皆さんのご来場。ありがとう、ありがとう。
打ち上げの席にて快速船艇にて25分の距離にある保戸島よりご参加の”島の山木康世”さん、およびその仲間による「影法師」「恋不思議」の演奏。高校生の頃の憧れの人が目の前にいて緊張したとのことでしたが、目をつぶってしっかり聴かせていただきました。時を超えニキビ面の高校生の二人が小生の歌を歌っている姿が脳裏によぎる、良かった、良かった。こんな空間と時間は疲れを吹き飛ばしてくれる。島の山木さんのお父さんが採ったというアジ、イサキ、誠に美味でした。お父さんにお礼をお願いいたします。津久見名物の魚のコロッケ「ギョロッケ」、おでん、ふぐ皮の春巻き、マカロニサラダ、等々のおもてなしという心、味大変ありがとうございました。最後に全員でハイチーズ。

残すところ5日間であるが、今のところ疲れ知らずの九州桜花吹雪ツアー。カーナビ、および現地スタッフに大いに心身共に助けられている。ツアー成功の賜でもある。
津久見の朝は薄もやがかかっているが晴れである。

春の海 ひねもすのたり のたりかな。

ホテルの窓を開けると対岸に太平洋セメント工場群が見える。外の多少冷たい空気が闇に支配された充電の時間を終了、希望の一日の始まりにリセット、切り替えてくれる。
再起動、再起動。別府を目指す。
(山木康世)

「小倉民謡村」後始末記

2010年04月02日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

九州ツアーの初日。福岡空港は久しぶりである。
荷物を受け取る前にトイレに入る。的に弓矢が刺さっている小さなマークが男性用便器の中に書かれている。なぜか男はここを狙ってひとときの安堵の発射をする。そうすると周りにあちこち飛び散らないのだ。女性には分からない、ささやかな喜び。見事命中。最後の一滴まで的を外さぬよう射続ける。これはヨーロッパのどこぞの国で考案された男性体内不要水付近飛散汚染防止法だと聞いたことがあった。噂通りの効力があった。

小倉までの移動の途中、高速道の古賀SAでトンコツラーメン&明太子ご飯セットを食う。これで福岡の食の文化を2つ同時に味わうことができた。チャーシューがもっとうまかったら”古賀のトンコツ”として脳裏に刻まれるところ、至極残念であった。

小倉には午後4時半に着く。イメージ通りの時間経過。
フォークビレッジは「民謡村」とでも訳したらいいのだろうか。しかしこれではフォークギターではなく三味線になってしまう。やはりフォークビレッジはフォークビレッジでしかない。
ディランはニューヨークのコーヒーハウス「フォークビレッジ」で歌っていたという伝説が確かあった。42歳の初夏にアメリカに初めて行った際、ニューヨークに行った理由がこれだった。
しかしフォークビレッジ跡しか残っていなかった。

さてライブ。今日はエイプリルフールだったのでステージで開口一番「さっきまでのポツン、ポツンが今は土砂降りです」なんてウソを言ったモンだからかどうかしらないが、終わった時に本当に神様は雨を小倉の空に降らせてしまった。
ライブの打ち上げで登場したのは、大きなヒラメとシマアジの活き作り。その周りにはウニ、タイラガイ、サザエ、タコなどがお控えつかわす大皿が鎮座する。糠床漬けイワシに舌鼓を打つ。
「小倉民謡村」を訪れた民謡奏者の伝言ノートを渡された。僕の前にライブをしたリンテン、青木某から自分への伝言を読み、僕は次にライブをする永井某へとノートにメッセージを記す。

外で酒をたしなむと眠たくなってしまうので、家に帰ってから飲むという村長の小野さんへ。
「いつまでもこのスタイルで行きましょう」とお礼を兼ねて伝言いたします。
噂では小野さんは帰ってからも酒は飲まず、障子の陰で夜ごと油を舐めているという。オーノー!

(山木康世)

陸蒸気

2010年04月01日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

うまい昼飯を食いに行こう。と言ってもなかなかうまいところが見あたらない。個人個人でうまいという定義はかなり変わってくるが口に合ううまい魚、値段と店の雰囲気などで決まってくる。
「陸蒸気」は「りくじょうき」ではなく「おかじょうき」と読む。明治の言葉で、陸に上がった蒸気船、つまり汽車ということだ。ということは船が汽車よりも先というわけだ。

中野に「陸蒸気」という飯処がある。夜は居酒屋になるのだが、昼は魚定食を食わせる。
ホッケ、カレイ、サケ、ブリカマ、アコウダイ、サンマなどを炭火で焼いて出す。この焼き方が良い。総勢30人は座れるグルリと囲んだカウンターの中央に焼き所がある。大きな長い炭が積み重なるように赤々と炊かれ、天井から吊された大きなフードに向かって時折火の粉が舞っている。串刺しされた魚群が灰に突き刺さって遠火でコンガリ焼かれている。あわや魚の切り身の森林火災。これまた30本以上が燃えさかる炭火を取り囲んでいる。

全身白衣のこの道一筋の焼き専門のじいさんが一人いる。軍手をはめた左手と素手で器用に林の向きをあちこち変えて焼き具合を見ている。良い感じで焼き上がってきたら、軍手の左手で串をひっこ抜きグサッと素手で魚を外し皿に盛る。回りには白衣の店員が4人ほど注文の魚を、米を、汁を、お茶をテーブルを囲んで腹を空かした待ちわび客に出す。少し前までよく通る甲高い声の威勢の良い兄さんがひとり居たが、今は見かけない。焼きじいさんが気が散っていやがったのか。本当にチョコマカチョコマカ走ってでもいるかのようによく動き声が良く響いた。店は少し静けさを取り戻した感じか。
「お待ちどうさま」、僕は目の前で焼き上がったカレイに食いつく。今まで全種類食したがここでの最高はカレイと決めている。少し甘めの醤油ダレのかかったカレイは絶品だ。

魚の食い方のうまい奴と下手な奴がいる。うまい奴は堅くて食えない背骨のみ残して後は一切胃の中へ。下手な奴はボロボロ身を、皮を残し、骨も食えないと決めてかかって残している。おまけにカウンターの上にまでこぼして帰る。小骨はかなり食えるのにもったいない。食えない骨に付着しているうまいものもしゃぶり食うべし。実は背骨の中の液がうまかったりする。チューチューと吸ってみるべし。見事食い終わった皿には背骨一本残すのみ。米、汁はお代わり自由だが一杯と決めている。あくまでも魚を食いに来ているのだ。忘れていた、客席後方の一角に大皿に盛られた漬け物が2種あり小皿に取り放題、食い放題なのだ。これも漬け物好きとしては決め手の一つになった。

店内には日本民謡が良い感じで流れている。訳の分からない気の散るBGMが多い昨今、実に炭火焼き魚を食うにはピッタシなのだ。流行のジャズなどで焼き魚が食えるかってモンだ。ヒップホップなど明後日、首を洗って出直せだ。
♪金比羅船船追い手に帆かけてシュラシュッシュシュー♪のこの歌がかかっていて聴き入ったことがある。メロディに不明な部分があったが事の真偽をここで確かめたのだ。
昼時の11時半から1時まで腹を空かしたサラリーマンがまたぞろ駆けつけて来るので、「陸蒸気」は直ぐに満席になる。半地下に降りる感じで少々薄暗い店内はうまいものが少ない中野には珍しく食いに行きたくなる良い店だ。
大枚1枚で100円の釣りは果たしてお口と懐に合うかどうか別れるところだろう。

もう少し遅いフライトだったらここで昼飯を食うという手もあったが、今日は昼前の福岡行き、残念持ち越し。到着次第、小倉フォークビレッジを目指す。雨らしいが久しぶりの九州を急襲、心のハリを吸収しに出かけるべく朝の準備中也
(山木康世)

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