となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

明後日はふなっしー様の船橋SOLA

2023年02月09日 | カテゴリー: 山木康世 

昔テレビで朝から晩まで自分の周りで起こったことを記憶している超記憶者の話があった。その人は証拠として絵とともに説明を入れてこと細かく覚えているというもので、そういう人がいるもんだと感心したり少々人間の知られざる脳の秘密に驚いたりした。
方や認知症などという、自分であって自分じゃないという寂しい病のことが問題になったりしている。昔でいえばボケである。これが自分に降りかかったらと思うといてもたってもいられなくなる。
矢張り脳は使ってナンボのものらしい。鍛えることができるならジムにでも通って鍛えたいが、そんなジム聞いたことがない。
僕は週2くらいで大好きなliveを行っている。これは実は脳にとって非常に良いと感じている。それでもお恥ずかしい話、歌詞はPCを見なくてはただの人というお粗末ぶりである。そして見ててもあらぬ歌詞が口をついて出てきたりすると、あらら…。
1994年からPC日記を書き続けた。1年で総文字数50万文字に及び十数年が過ぎた。今でもその頃のことが読むと鮮明に蘇ってきて面白いもんだと感じている。しかしそのことが自分一人だけの記憶だと面白くないと思い始めた。誰かと共有して初めて喜びに変わるのである。今も気が向いたら日記を書いているが、昔の50万文字には到底及ばない。
角田順との思い出コラボから1週間、本来なら配信してもおかしくないご時世である。しかしマーキーはその設備を整えていない。今後も考えていないらしい。ぼんやり思い出してほくそ笑むのもまた良いか。
しかし今回先ほどの超人ぶりでまるでレコーダーから書き起こしたかのような書き込み。恐れ入谷の鬼子母神。読ませてもったら更に事細かく蘇ってくる。
何を歌ったかさえ忘れがちである。しかしPC曲順を見ると思い出せるのでそれほど心配していない。
もしも隣の人がかような記憶達人だとしたら人間の脅威の肉体はそれほど不思議な話ではなくなるね。
コロナ禍において人と話すことがメッキリ少なくなったとよく聞く。家にジッとしていて人と合わなかったり話さないでいると脳はゴロゴロして退屈しているんだろうな。これがボケの始まりかもしれない。認知症などという言葉から来る、いかにも専門用語ではなくボケ=呆けで良いのに誰かが言い始めた差別用語反対のひとつなのだろうか。少しユーモアのあるボケは自分次第で遅らせることができる。僕の音楽Liveはそんな要素を秘めていると自負して明後日の船橋へ歩を進める。その前に雪予想の嫌な天気予想。晴れ男はどこまで対決できるか。ふなっしー様オセーテセニョリータ。

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