思い出の赤いポスト
2023年07月25日 | カテゴリー: 山木康世
思い出の赤いポストについて書こう。
1992年42歳、実に18年続けた「ふきのとう」に別れを告げたのが5月。20代、30代、40代と寝食を忘れて没頭夢中になった、学生の頃から始めたグループ活動に終止符を打って、半年がいつの間にか経っていた。
さてこれからの船を如何に進めていくのか、淀みなく順調に進めて行くのかの指針はおぼろげではあるが確固としたものはなかった。しかし未知なる世界へ沸々と心は燃えて、興奮と期待で血気盛んであった。今までの音楽人生の延長線上にとりあえず航路を考えて先ずは出港だ。
お世話になった才谷音楽事務所に出向いて自分のものを引き下げてきた。その中にあったファンクラブの会員名簿は船にとっての最高の明かりとなって光っていた。早速買ってまだ使い方のおぼつかないMacへの練習も兼ねて、毎日エクセルのセルへの書き込みの日々。初めてお目にかかる今までのお世話になった熱いお客様の個人情報である。打ち間違えの無いように慎重に時間をかけて打ち終わった。そして印刷である。ハガキを大量に買い込んで、深夜夜ごと模索の日々が続いた。何せパソコン本体もそうであるが、外付けのプリンターへの慣れも相当に要したが、この打ち込み作業によって手懐けることができた。憂い奴よ、近うよれ。
そしてこれからの山木号発信の目的や意義を手短に、しかし内容濃くまとめてハガキにしたためた。
或る夜、西武線の信号を超えて一番近距離の赤いポストに向かった。
どうぞ多くのハガキの返信が戻ってきますようにと柏手をパンパン、深夜の人気のない街なかに響く希望と願いのパンパン。この赤いポストが思い出の山木号出帆の出発港だったのである。50年目の節目に立ち寄った久しぶりの赤いポスト。パンパンはしなかったが感慨深いものがあって夜の蝉も鳴き止んでジッとこちらを見入っているようだった。
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