東府中分倍河原ジェリージャムスタジオ
2024年03月17日 | カテゴリー: 山木康世
東府中分倍河原へ行ってきた。分梅河原とも呼ばれるが僕はこちらのほうが
好みである。
鎌倉時代新田氏と北条氏による戦いが1333年にここで行われたという。元弘の乱。東府中駅前にはモニュメントが建っていて、新田氏とある。後醍醐天皇の時代で鎌倉幕府、北条氏が滅亡した戦いであると知って、これは日本史における重要な戦いと思って調べた。
時代は鎌倉が終わって室町に移る。
新田とは新田義貞{につたよしさだ}北条は北条泰家{やすいえ}である。新田は多勢の幕府軍北条を破って新時代を築いた。今から700年ほど間の話である。鎌倉の武士の時代から金閣銀閣の文化の足利時代の始まりだ。やはり武力豪傑よりも穏やかな平和が良い。
今回の会場を建てる際、鎌倉の遺物が発見され大変だったそうである。当時は今よりも大いに栄えた分倍河原東府中辺りは江戸よりも活気を呈していたのであろう。
東府中在住の従兄弟ご夫妻もお見えになり、LIVEも大いに盛り上がりました。
もう春なんだなぁとつい口を衝いて出るほどまっこと素晴らしき快適な陽気の下、分倍河原に静かに日は落ちて令和の弥生の土曜の夕刻、車を飛ばして中央道をお江戸を目指しました。
それにしても随分と日が長くなりましたなぁ。
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