戦争に行かなかった父 その2
2024年05月12日 | カテゴリー: 山木康世
悪性リンパ腫瘍に患ったときの元気のなさを思い出す。自分でも信じられない病気だったろう。57才から94才まで独居37年、それまで33才から57才までの24年が家族と共に生活。実に短い24年だったなぁ。母といる夫婦生活より一人で3年も長く生きた訳か。
父の父は77歳、母は95歳、父の自慢の姉は96歳まで生きた。長兄を除く、それぞれ父の3兄弟も90歳近くまで生きていた。父の兄二人は100歳近くまで生きた。
父はいたって元気だったので、それは僕にも継がれて遺伝されていることは確かなようだ。しかし幾つまで元気でいられると確かなことは誰も言えない。94才であの世に行ってしまったので、あとのことは残された家族や知人親戚が思い出すくらいだ。
従兄弟に聞いた話だが戦争にいかなかった理由のひとつに「自分の子供を残したくて行かない、行きたくない」これは本当の理由だろう。世間的には鉄砲の撃てない乱視が理由だったらしいが本当だろうか。しかしこれは素晴らしい心である。お国のためとはいえ国家を滅ばすような人間になるよりは絶対に正しい生き方である。戦後の形見の狭かったであろう父親を思うと不憫だ。なにかと同窓会や職場で逃げたくなるような場面が多々あっただろう。
モノを言わないダリアの花の栽培に命を捧げた理由のひとつにこの青春の苦い自分の立場があったかもしれない。当時の世界は力による屈服が男の仕事。果ては領土を分取りに駆り出される。奴隷制度ほどでもないにしても心の束縛は近いものがあっただろう。
最後に父の残した俳句を載せます。
花ダリア 山木紅果
太陽に 吐く息白く 霜の朝
鼻歌も 抜ける青空 袋かけ
チューリップ 品種それぞれ 自己主張
辛夷(こぶし)咲き 雑木林を 明るくす
見晴るかす 丘は輪作 麦の秋
コロポックル 棲み家侵して 蕗を刈る
懸命に 咲く花ダリア 吾が人生
~おわり~