となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

東京都北区/スタジオ・アンダンティーノ 第3スタジオ(1階)でのヒトヤスミ

2024年07月04日 | カテゴリー: 山木康世 

バタやんこと田端はんは古いギブソンをそんなに持ち上げなくても良いのにと言いたくなるほど胸の上の方まで持ち上げて
♪ワタシがアナタに惚れたのは ちょうど十九の春でした♪
僕の好きな日本のミュージシャンだ。歌手ではない。音楽スタイルをきちんと持っていた音楽人なのだ。マイク片手にパフォーマンス、ついには振り付けもしてしまうカラオケ大好き演歌歌手ではない。ウケ狙いでマイクを胸にあてがい何かを考えていそうでいないなんちゃって歌手でもない。
彼が歌うと実に幸福な気持ちになったもんだ。そんな日本の歌手探したってそれほどいなかった。
僕が16歳の高校生、ギターを始めた頃ときめいたのはテレビに出てくる加山雄三だった。加山はんも必ずギターと一緒に歌を歌っていた。「旅人よ」で薬缶の中のお湯は沸騰、蓋が音を立てて弾けて床に転がり落ちた。
それほどギターは大事なのである。言葉足らずで語り足りない気持ちをギターは代弁してくれる。援護射撃にハモニカも、その時の彼の胸の内を口中から雄叫びす。
筋書きのない50年音楽文士による2時間はたまらなくこらえられない山登りのピクニックなのである。道端に何がいるか、咲いてるか俺は目を見開き、耳をかっぽじて夏の汗を拭き拭き黙々と歩いてゆく。なんだ!前を歩いているのは父さんじゃないか。足が遅くなったと言え父さんを追い越さない。追い越せない。いつも父さんの尻や背中を見て歩いてゆく。無言で何か言っている。「そろそろ馬の背でヒトヤスミするか」って言ってくれそうで言わない。休まない人だった。いつも動いてた。そんなとき、「よしヒトヤスミだ」っておにぎりを広げる一時は最高だった。青空に遊ぶ鳥たちもピーピー枝でヒトヤスミ。あんな午後のヒトヤスミ、夢のようなヒトヤスミだったな。
文士の村、田端の駅頭でレンホーが東京都の舵切り胸の内を雄叫んでいた。
さて東京を、日本を誰がどのようにお導き下さるでしょうか。
バタやん、一曲おねがいします。

背後のカーテンからバタやんが覗いていたような・・・


「今度はピアノでも弾こうか」

コメントする