曙橋ライブハウスコタン 中牟田俊男+山木康世
2024年08月18日 | カテゴリー: 山木康世
はるか50年以上前、上京したとき事務所に先におられたのが武田鉄矢率いる「海援隊」だった。そのメンバーに中牟田氏はおられた。無口でしゃしゃり出ない地味な存在だった。しかしいつも変わらぬ雰囲気でしっかりサポートを続けていた。デビューしてコンサートに前座で連れて行かれて20分ほど歌う。ステージ慣れを養うためである。そんなとき舞台袖で聞いていつもいいなぁと思っていた歌をコタンでリクエストした。「故郷未だ忘れ難き」である。
♪故郷未だ忘れ難く 酒さえ飲まなきゃやさしい親父
故郷未だ忘れ難く 殴られた痛みも忘れました♪
中牟田氏の今日のギターは国産スズキである。手にとって鳴らしてみて驚いた。今までこれほど鳴るギターに接したことがなかったので感動した。当時はおそらくマーチンのコピーであったろうが、本家を超えていた。ウソではない。しばらく虜になっていた。こんなギターが日本で作られていたとは、さすがバイオリンのスズキである。それを聞いていたのか聞こえていたのか、我がギブソンが2回も弦を切ったのである。おそらくギブソンの嫉妬であったろう。今まで弦が切れないギターとして自慢であったのに。
息子さんが今日は数曲一緒した。遺伝子は恐ろしいものがある。何もわざわざ真似しなくとも、出てくるフィーリングが物語っていた。声はもちろんであるが歌いっぷり実に似ている。子供のいない自分にとって、この光景はかなり羨ましい事実であった。これほど体内から湧き出ずるフィーリングが似るとはおそれ入谷の鬼子母神である。
大阪でもやってくださーい。そうですね機会があえばやりたいですね。と応えた。ウソではない、チャンスが有れば大阪に限らずやってみたい。
息子さんのギター、歌いっぷりにも共感を覚えたが、最後に出してくれた卵料理と塩焼きそばにも負けぬくらいの舌鼓を打ってしまった。
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